くも膜下出血コイル塞栓術後です。解離性椎骨動脈瘤保存観察中です。
うちの会社は夏休みはの3日付与される。コロナになってからは旅行することもなくなり、この2年は単発で休みをいただいていた。今年は実家に帰り、施設の父を連れ出して父の好きな鰻を食べに連れて行こうと兄と計画している。実家に帰ったら、雲仙の外乗にも行きたい。7/1の1ヶ月検診で8月末の乗馬🏇🏇🏇可能か聞いてみよう❗️退院時は乗馬は3ヶ月開けてね!と言われてたけど。ティアラちゃん元気かなぁ〜2年は行ってないから久々に乗馬したら体バッキバキだろうなぁ
術後ひと月経ちました。なんなら1年経ったくらいの絶好調さ。仕事も残業もやっていますこのひと月にレルミナのせいなのか高血圧の値になったりホットフラッシュで滝汗かいたりしていますが、気持ちは反して晴れやかな気分です。ほんま悪いものは出尽くした気がするもしかすると更年期がやってきたかもしれないけど55歳までは生理は来るよと言われていたので前後5年なのでまー仕方ないかのぼせがくると一気に血圧が上がるのが怖くて現在、アムロジピン2.5mgを飲んでいます。『血圧の薬飲み出したら一生飲まなきゃなんないから嫌だ』とか言う人もいますが、血管の拡張作用もあるんだから、私は一生飲みたい!くも膜下で退院したすぐはふらつきがひどくて、血圧の薬やめたい!って思ってたけど、今は所望してる(笑)病は気から気持ちを前向きに腐るコトなく頑張ります
手術後腰痛があり、元々腎結石と6センチほどの嚢胞があるため受診した。結果なんの問題もなかったのだけど(どんなに大きくても嚢胞のせいで腎機能は落ちないから安心してとのこと)エコーの時に筋腫が取れて綺麗に膀胱が映るようになったよと言ってもらえた。ほんま悪い奴がおらんくなった
仕事復帰しました。くも膜下の時は時短勤務を取らせていただいてふた月ほどで通常勤務に戻しました。今回は入院日数も短いし、悪いところをとっただけだったのでそんなに心配していなかったのですが、ご飯を食べからの腸の痛みがあったのでならしで休みを切り上げて出勤したいと上司に申し出たところ、休みなよーと、あっさり却下され、あーあ何するかなぁと思っていた金曜日。『よかったら土曜日時短で来てくれないかな?』と連絡が入った。暇でウズウズしてたので行きます!喜んで!と答えて出勤しました。そして今日、フルタイムで完全復帰してきました。体も傷も元気な今、重たいものを持とうとして同僚から『ダメです!』『座らなくていいんですか?』と声をかけられ、あぁ、重たいものはダメだったんだと思い出す。会社では『これちょっとやめときまーす』『これは全然平気です。』等々きちんと伝えるようにしている。
出血後10ヶ月目には血圧のコントロールさえしっかりしていれば問題なし。と言ってもらえた。婦人科の先生は血圧140以下でコントロールと脳外科の先生から指示をもらったよ。と言っておられた。内科受診の際に伝えるといつもどれくらい?と言われて困った。血圧の薬が中止になって、コントロールできていたので測らなくなってしまっていた。病院で測っても110ほど。測ると気になるのであえて測ってなかった。『まぁ150が三日続いたら受診して。』内科の先生からきちんと測って!と言われて朝晩測りはじめた。上が130ほど。おや??あれ??こうなるとびびりの私が顔を出す。ホルモン剤のせいかな?五十肩のせいかな?夜は肩が痛くて眠れない。ある日は150!!!ビビりすぎたので隠し持ってたアムロジピンを内服する。翌日クリニックの先生に電話する『150が怖くてアムロジピン飲んじゃいました』って伝えると、受診を勧められたので受診してきました。『ホルモン剤のせいでも肩こりでもないよ、君は手術が不安なんだよ!怖いでしょ?とりあえず抗不安薬出すから飲んでみて。あとお守りにアムロジピン出しとくからいつも持ってたらいいよ。』そうかなぁー。と思いつつ抗不安薬飲んだところその日の夜は106まで下がってました。ははは!先生良くわかってる!不安なせいだとわかったたら少し安心しました。ただ、抗不安薬や向精神薬、睡眠薬を飲むことは逆に頭への影響が心配なので飲みたくないので飲まずに手術まで頑張りました。私は大丈夫と暗示をかけて。手術後2〜3日も120くらいだったんですが、家に帰ってリラックスすると100〜110ほどに落ち着きました。婦人科の先生もホルモン剤の影響で血圧は上がることはないと思うので思うように下がるかはわかりませんよって言われたんですけど、私はホルモン剤のせいで血圧が上がると言う暗示にかかっていたようです(笑)なんならプラセボでラムネ飲んだって血圧下がりそうです(笑)生理が来ることはないけど血圧をちゃんと測って上がりそうな、更年期かな?っていう傾向を掴んだら降圧剤飲めば大丈夫だと今は思ってます。病は気から。私は一生分の病気をしたのでもうこれからは上々です
入院手術って何用意するの?ってよく聞かれます。私は実家も遠い独身なので似た境遇の人によく聞かれます。緊急性のある入院のことを結構聞かれます。くも膜下の時にたまたまバッグに入っていて助かったものが数点。・保険証・携帯の充電器・インターネットバンキングのカード・眼鏡(私はコンタクト派ですがたまたま眼鏡が入っており助かりましたコンタクトは承諾の上捨てられました)・ファブリックミスト私はこれで何とかなりました。↑究極。前にも記載してますがiPhoneの顔認証は優秀なので、気を失う前に暗証番号を伝えて、連絡先を伝える。そうすれば後の必要物品は病院が貸してくれます。知人が持ってきてくれます。お金だって高額であれば病院が進んでどうすればいいか教えてくれます。入院費は後払いなので私はインターネットバンキングで友人に送金して持ってきてもらいましたが今時、クレジットがあります。(脳外科はクレジット不可でした)自分自身も入浴できず臭い上、寝具も臭うことがあります。ファブリックミストを振り撒けばまぁ耐えられます(笑)私は自宅ではタオルもパジャマも毎日交換しているので入院中もパジャマもタオルも毎日変えなきゃと今回の入院で準備していたら海外にでも行くのか!という荷物になってしまったので、2日に一回でいいかーとパジャマ減らしたんですね・・ちゃんと頭が患者モードになるんです❗️毎日変えなくても平気でした。この度、耳栓も準備しました。隣の人の寝息で眠れなかったら寝なきゃいい!疲れたら寝るさ!って思ってたら耳栓も使わずに寝てました(笑)夜眠れなくなるので昼間は殆ど昼寝してません。今回入院中はテレビも見ずに小説2冊読み切りました。小説は5冊くらい持っていきましたが流石に手術後2日ほどは読む気力がありませんでした。吸い飲み?は今の時代100均でペットボトルにセットできるストローで充分。パンフレットに吸い飲みって書いてますがあんなもの家にあっても使えない。キャリーケースで荷造りしてたのですがどんな状態で帰ってこれるかわからなかったので、キャリーケースで帰ってきたら自宅に入れる際の拭く動作に負担を感じるかもしれないと、前日急遽布製のバッグとIKEAの大袋に詰め替えました。結局元気に退院したのであのままでよかったってことと、逆に二つも下がると結構な重さなので腹圧のことを考えて急遽親友に迎えにきてもらいました。ただ、友人にも伝えるんですが家に取りに行ってもらう場合自分がどこに何があるか把握してないと持ってきてもらえないのでそこ重要❗️と伝えてます。
手術で切り取った子宮の写真を撮ってください。とお願いしたけれど携帯電話は預かれませんとの回答。そりゃ困った友人に来てもらったら撮れますか?と聞いたところあなたがいいと認めた人ならば構いません。と言ってもらえたため、友人に急遽連絡をする。親友はありがたいことに受けてくれ写真撮影をしてくれた。手術は4時間。摘出した全体像は掌2個分より少し大きいくらい。子宮の中に突き出した4センチと外に突き出した4センチ(いずれも子宮の中から発生した感じ)子宮の外に子宮の一部ではなく筋腫のぼこぼこの塊が拳大??子宮は小さな筋腫で囲まれていた。第一印象。この手術はほんまにやってよかった。こんなグロテスクな塊がお腹の中にあったことそして子宮の中に突き出す筋腫、拳大の筋腫の塊が全て育ったら身体はボロボロになっていただろうな。と思いました。子供を産む年齢でもないのでなんの感情も持ってなかったのですが本当にやってよかったーと言う感想です。手術当日から腸の不快感が強く、ご飯を食べると30分後くらいから痛みが出る。排便時も痛みからしばらくして排便する感じが続いてます。それでも、だいぶん楽にはなってきたのだけれどこれは手術の際に腸を鉗子で避けながら手術したせいですと言われた。必ず治ります。と言われたので不快ながらも気にしてない。尿意を強く感じるけれどもそんなに尿は溜まっておらずえ??と言うことがある。これも手術で触っている影響と言われた。お腹の中で幅を利かせていたやつを取り除く手術だったんだから仕方ないと結構楽天的にいます。お腹には1センチ程度の傷がありますがそんなに言うほど痛くはないしなんならもう働けそうなんだけれども、上司からゆっくり休みなさいよ、とやんわり拒否られた(笑)術後も傷の痛みより、テープかぶれが気になって眠れないこともあった。これも精神的なものなんだろうか・・家に帰ったら軽減していた・・
私は腰椎の横突起骨折が離開したままなので、仰向けに長いこと寝ていると腰痛が出てしまいます。長いこと立ちっぱなしもそう。ヘルニアの人たちと違って姿勢を変えると直ぐに痛みは止まります。夜間しっかり寝返りができるので腰痛も軽く、傷の痛みもそれほどなく入院期間を終えました。傷の痛みでロキソニンを飲むことはなく、頭痛で飲みました。ドレーンも手術翌朝には抜け歩行許可が出てからは支障なく歩けました。歩き初めに傷が引っ張られる感じはあったけれど大した痛みではありませんでした。手術直後から痛みはない?と聞かれてもお腹が渋っているような痛みがあると答えていました。(そういや)主治医曰く、手術の時に腸を鉗子で避けながら手術してるのでその痛みですひと月半〜3ヶ月ほどで治りますよと言われたんですが、退院後1週間の今も食後30分がピークの痛みがあります。まぁ、耐えられる程なので腸不快ダイエットだ!と友人には言いながら過ごしています。傷の痛みより頭痛や血圧の方が私にとっては心配の種だったのですが、術後2日もすると120〜130だった血圧が100〜110におさまるようになりました。気持ち的なものがなくなったのかなぁ。手術1日目にはこの手術は正解だったんだろうかと140まで上がった血圧の値を聞いてブルーになりましたが血圧の値が安定し始めたら、不安な気持ちも吹っ飛びましたもう生理に苦しめられる事もないし、なんたって少なくとも子宮のがんにはかからないんだ!子宮脱にもならないんだ!と前向きな気持ちになってます
午後13時からの手術のため朝ごはんは🆖アルジネードウォーターなるものを四本指定の時間までに飲んでくださいとのこと。空腹かつ、口渇の体に染み渡りました。補水液みたいな感じらしいです。頭の時は刺激を与えないように自分でしないようにって感じだったので自分で歩いて手術台に乗る。というのが驚きでした。今回も『先生点滴痛いです。』からうとうとと気持ちのいい睡眠をし目覚めたら病室でした。起きた後も特にしんどくないし、身体中力が抜けたからかしばらく最近の悩みの五十肩がなくなってました。頭の時は激痛に耐え、腰痛(カテーテルの挿入口を保護のため、数時間仰向けで片脚動かせませんでした)に耐えとにかくしんどかったんですが、2回ナースコールで横向きにしてください!とお願いしましたが、自分でやって良いですか?というとあっさりいいよと言われたのでそれからは自分で寝返りを。膝を立てると腰痛も和らぐのですが、やっぱり仰向けは30分くらいが限界でした。横向きにしていただくと背中にクッション入れてくださるのですが、私は抱き枕にしてください❗️と希望を伝え抱き枕に。これがなかなか楽でした。背中にあっても自分では調整できないので・・ホットフラッシュの時に対応できない(笑)
くも膜下出血から1年経ちました。今はもう15ヶ月目。何度も再出血の恐怖で震えていた。今は(子宮全摘も終わったし)もう大丈夫なんじゃないかな?と思っています。もう一生分の病気は終わった(はず)あと、この1年で周りで親が亡くなった知り合いが4人いたので、やりたい事食べたい事は後回しにしない。って強く思うようになりました。それと今世で徳を積まなきゃ!(この時点で悪い人笑)あとひとつ不思議な心境なのですが、私の兄はかなりのビビり。あの人(兄)じゃなくてよかった。と思うようになりました。兄弟で病気を分け合うとは思ってないけれど兄はMRAの結果何もなかったそう。あの人には耐えられない痛みと絶望感だったと思う。私は落ち込むことはあっても乗り越えられると神様はちゃんと見ていたんだなと思う心境に変わりました。両親より先に逝かなくてよかったとも強く思うようになりました。パートナーがいればパートナーじゃなくてよかったと思ったと思います。私でよかったと言う考え方はいいのか悪いのかわからないけれど少なくとも今はそんな気持ちです。これからも自由に元気に頑張ります♪
腹腔鏡でやって欲しいと伝えたところあっさりと『やってくれる先生はこの辺りだと2人。だけど1人は転勤でどこに行かれたかわからないので1人しかいないかなりぼこぼこなのでそれでもやってくれるかわかりません』紹介されたO病院は職場の近くで、聞いたこともない病院だったのだけど、自宅からは30分程度まぁ許容範囲。O病院の先生はとても優しく丁寧に説明していただいた。この病院で初めてMRIを撮ったのだけれども、筋腫が30個以上存在しており、子宮の周りがボコボコになっている。腹腔鏡下で膣から取り出す形になるけれども出ないとなったら切り刻んで出すから腹腔鏡でなんとしてでもやります。と言っていただいた。ここでも、他の治療法の説明を聞いたのだけれども、結局子宮をとってしまわない限り、再発の可能性があることを再認識。頭部のMRI(MRA)ではあんなうるさい中うたた寝して自分のいびきで起きてしまうこともあるんだけれど、腹部のMRIは呼吸がしにくくてちょっと嫌でした1度目の受診でジェノゲストを倍量に。ジェノゲストの倍量で次の生理からなんと生理が止まらなくなってしまった。量はまぁ少なかったし、次の受診あるしまぁいいかと。MRIの結果を聞いた最後の受診でレルミナに変更。レルミナ飲むと飲み初めに大量出血を起こすことがありますと説明を聞いた。あと、頭痛。リュープリンの内服版みたいな感じなので続けられないと思ったら電話してください、その時はディナゲストに変更しましょうと。いや、なんとしても頑張りますよ手術までひと月。子宮を固くして手術をやりやすくすると聞いて我慢のしようがあるでしょう。と心に決めた。なんとしてでも飲み切ります(薬高いし・・)暫く大量出血とはおさらばしていたので大出血を起こした時はびっくりした。それが3日ほど。聞いてたけど想定外なんだけど・・・。オペ前に貧血ならんかなぁと心配したもののなんとか止まりました。頭痛や体の不調はかなりひどく最後は50肩もあり血圧まで上昇❗️レルミナ飲んだことのある方はご存知かと思いますが何しろ高い!35日分くらいで9990円也。そりゃ飲み切りますよ、高いもん。うちの母がアルツハイマーの初期で飲んでいたアリセプトが一錠500円に比べれば安いけれどもこれは続けるのは厳しい❗️
知り合いの看護師さんに婦人科系のことに詳しい人がいて相談した。『もうねー、開腹で取ろうと思って予約してきた!早く生理無くなって欲しいし、薬やめたい!』「腹腔鏡でした方がいいですよ?無理なんですか?痛みが全然違いますよ」と。え?そうなの?と、子宮全摘を開腹で行った子、帝王切開を行った子に連絡してみる。え?痛いよ。筋肉切るんやでそりゃ痛いよ。脊椎麻酔って自分で痛み止めのボタンを押して痛みコントロールすんねんけどね、痛いよ。あっさり、やっぱり腹腔鏡にしてください。と手術を取り下げに行きました(笑)
リュープリンからジェノゲストの内服に変わった。26日周期で生理は来る。律儀なやつだ。量は減ったとはいえきっと普通の人の量。実は婦人科のB先生に、根治の可能性の低い手術を勧められたこと、診察中にどんな流れだったか忘れたけれども『あなたが過多月経って言ったんでしょうだから私は悪くない』的な発言をされたため不信感が湧いていた。説明が少なかったため余計だったと思う。内科のクリニックの先生に納得がいってないこと、ホルモン治療が嫌だと言う話をしたところ『うちに来てる婦人科の先生にセカンドオピニオンになってもらったら?』と言っていただいた。クリニックに来ているC先生も女性。可能性の低い手術をするのも嫌だしホルモン治療も嫌だ、治療で頭痛なんて絶対に嫌だ等々話をしたところ、『貧血治療で対応してもいいと思います。ホルモンを辞めたり飲んだりでも構わないと思います。子宮頸がんで引っかかっているなどあればいっそのこと全摘がいいと思います。』と言うことを言われました。実は、前々回?くらいの健診で子宮頸がん健診で軽度の異形成であると言われていたため全摘しようかなぁとこの頃から思い始めました。相性って大事
何回目かの脳外科受診頭部レントゲンとMRA撮影。数回目の受診で降圧剤、高コレステロール剤が中止になった。瘤に詰められたコイルはもう半年以上経っているので被膜が出来上がってるだろうそうなると血栓の可能性は下がるらしい。コイルが縮んだことによる隙間はおそらく1〜2ミリ。私の動脈瘤が再破裂する可能性は未破裂の動脈瘤と同じ程度、数パーセントでしょう。と言われた。未破裂の椎骨動脈の解離の方はおそらく破裂せず一生を終えられるでしょう。これからは血栓の可能性は下がるので再破裂した時のことを考えてバイアスピリンは中止します。血圧のコントロールだけしましょう。今の血圧は問題ありません。と言っていただけた。リュープリンの注射で頭痛がひどかったと話をしたところ、もしそれで再出血を起こしたところで因果関係はわからないでしょう。それを恐れて治療をやめると言うのは本末転倒だと僕は思います。手術をするとなると意見書を求められると思いますが僕は賛成します。と言ってくださった。脳外科の先生はズバッとはっきり言ってくれる。不安に思う気持ちもぶった斬ってくれる。患者のQOLを大事にしていると言葉の端々で感じられる。きっと、無念な気持ちを抱いたまま亡くなる患者さんをたくさん見てきたのもあるんだろうな。と考えさせられた。
私に筋腫の過多月経を教えてくれた方がいた。教えてくださったAさんは、過多月経による貧血だったそうです。貧血って何が怖いって気がつかないことですね。わたしもめまいが貧血のせいとはわかっていなかったし、何故起きているか生理と結びつけることはありませんでした。わたしはもともと生理は順調なタイプで生理痛等もなく過ごしていたのですがここ数年、大量になってきていました。それでも、更年期だから多くなるのかな?不安定なんだろうなと思っていました。生理の量を人と比べることもないし、どんな生理用品を使っているかもわからない。ここ2年くらいわたしは大きめのナイトナプキンとスーパータイプのタンポンを使って仕事をしていました。(いつでもトイレに行けるとは限らないので)出血はサラサラで、なのにコアグラが結構出てくる。婦人科の門を叩く頃には27センチのナプキンとスーパータンポンで2〜4時間しかもたなくなっていました。婦人科の先生のブログにもありましたが、車、ソファーにはシートを敷いてました(笑)職場に置いているナプキンは夜用。若い子にナプキンちょうだいと言われて「何この大きさ!ウケる!」と言われたこともありました(笑)ただ、更年期のせいだと思いながらもきっちり26日周期で訪れる生理なんかおかしいなとは思っていました。Aさんが昼に夜用のナプキン使うのは過多月経らしいですよと教えてくれるまでわたしは普通だと思っていました。
2回目の婦人科を受診し、いかに頭が痛いかを訴えてきた。リュープリンを打ってからというものロキソニンが欠かせないこと。ロキソニンを飲んでも痛みが止まらないこと。肩こりのせいもあるのかもしれないんですが・・と伝えるとサラッと『肩こりも副作用にあるよ』と言われました。辛いので手術の方がいいと話をしたところ、取り敢えず内服治療に切り替えて子宮の厚さを薄くすることで月経を軽くしようという方針になりました。21日内服を続け、頭痛が出なければ年明けに焼灼術しましょうかということになりました。私はまだまだ月経がきそうな女性ホルモンの量卵胞ホルモン量128(閉経前は20以下)卵胞刺激ホルモン4.7(閉経前は20以上)なのでまだまだ内服治療も続けなければならならないなら手術!と決断したのですが、その時の私に選択できることは1、子宮壁の焼灼術2、子宮全摘手術3、ホルモン療法を続ける1.子宮壁が厚いと生理が来るらしく薄くすることで生理を止めるのを期待する手術で、子宮の壁をマルっと焼いて薄くするそうな。ちなみにこの方法だと再発率が3割程度だったかな?2.子宮全摘手術子宮がん等のリスクがある人はもちろん全摘をお薦めする。3.ホルモン治療を続ける。若者でも2〜3年は飲めるホルモンなので年単位の内服は可能とのこと。 とりあえず内服薬をいただいて帰宅。
数年前からか3センチほどの子宮筋腫を2個抱えていた。周りに小豆大が多数。『悪さをしない限り何もしなくていい』と言われたため存在をすっかり忘れていた。この度クモ膜下出血後のフラつき、過多月経、貧血の検査の結果子宮筋腫のせいだろうと推測された。クリニックの先生からも貧血症状が出る状態で根治治療をせず貧血治療をしても同じことの繰り返しだからもう覚悟を決めたら?と言われて諦めて数年ぶりに産婦人科の門をくぐった。エコー内診、ホルモン量採血の結果まだまだ生理は終わらないし、筋腫は育つ。数年前までなかった過多月経もそのせいだろう。なにより、治療をせず貧血治療を繰り返すのも・・と言われ、11月に1回目のリュープリン注射を終えた。クモ膜下出血をしていること、バイアスピリンを飲んでることを考慮しても注射をし一時的に生理を止め、筋腫の縮小を期待する、症状が軽減しなくても手術するのであれば生理を一度は止めなければならないため不可欠な治療であると説明を受けた。製薬会社にも確認を取って頂き注射をしたのだけど、頭痛が辛い。出血後仕事が忙しい不眠以外は頭痛もなくロキソニンも処方してもらわないことが続いていたのに注射をしてから毎日ロキソニンを内服する。それでも頭痛が止まらずかなりの苦痛を感じている。脱毛の副作用を読んで脱毛が出たら辞めると息巻いていたけれど、毛が抜ける前に頭痛でギブアップ寸前。不眠の副作用もあるようで、頭痛には鎮痛剤、不眠には眠剤を飲んで副作用対策をしてでも治療は続けるべきだと言うネット記事を読んだ。こんな事なら貧血治療を生理が終わるまで続けた方がマシだと言う心境で4週間を過ごし、翌日に2回目の注射の日がやってきた。先生に思い切り泣き言を言って判断してもらおう。
iPhoneの緊急連絡先ってご存知ですか?iPhoneから119番をした時に緊急連絡先に登録している方に通知がいくようです。私はくも膜下出血を起こし自宅療養中にヘルスケアに内服薬などを登録している際にその機能に気がつきました。そして、なぜか随分前にお別れした元彼さんだけが緊急連絡先に登録されていたので、実は入院して退院したんだけどその時に119番して救急搬送されたんだけど連絡あった??と聞いたんですが・・なかったそうです。着信拒否とかもしてなかったみたいなのですがね。何故でしょ。えー意味ないやんと思いましたが、今は父、兄、義姉、姪、友人2人を緊急連絡先に設定しています。ほんまに機能するのか謎ですが・・
1年経ってまた病院です。別の病気なのでまた順を追って記録していこうと思います。今回は昨日手術をして今はもう歩き回れるし元気です。これでもう病気は終わり!と確信しています。病休期間中にまとめて記録します。
前澤さんが宇宙へ旅立ちましたね。職場でも行きたいか行きたくないかとか話してたんですが、私は50億積まれても行きたくない。ほとんどの方は50億あったら行きたいと言ってました(笑)終わりの想像のつかない宇宙なんて怖すぎる。子供の時から、妄想癖があるのか宇宙の果てのことや死んだ後のことを考えると怖くなって泣き出してしまっていました。宇宙の端っこってどうなってるんだろう死んだら私のこの思考はどうなるんだろうって結果の出ないことを妄想して怖くなっていました。なので宇宙になんの魅力も感じないし、信じてない。かと言って確かめに見に行きなよ!と言われても行きたくない。宇宙に夢を馳せて過酷な訓練にも打ち勝ち宇宙に旅立った前澤さんはとても立派な素敵な人だなと思いました😊私みたいな思考の人っているのかな・・・