令和3年3月右中大脳動脈瘤破裂コイル塞栓術令和4年7月再出血クリッピング術高次脳機能障害、左同名半盲、アロディニアと闘っています。
SCS埋め込み手術からひと月が経ちました。私の場合、ジェネレータ埋め込みの部分に血腫ができてしまい皮下出血がかなりひどかったのでその痛みと、切開の痛みで退院して10日ほどは動くと痛いので痛み止めを飲みながら過ごしていましたが今現在は触れると痛みを感じます。肝心の神経の痛みについてはほとんど効果は見られてないように思います。腕についてもトライアルの時には少しあるかなと感じていたのは怪しいです。一度機械の調整がありました。リードがしっかり固定するのに3週間ほどかかるとのことでしたが手術後からうたた寝して首を放ってしまったりなどあったのでリードのズレを心配していましたがそれはなかったようです。安心しました。痛みについては現在効果がみられていませんが長い目で見ましょうという話をしてきました。現在内服薬は入院前のサインバルタに戻してもらいました.やはりタリージェはふらつきがきついのに効き目がないためです。リリカの改良版といえどもふらつきました。
最近自分の身の回りで脳梗塞、脳出血になった知り合いが‥と言う話をよく聞きます。私の経過を見てくれていた方リハビリの動画を見ていてくれた人たちから様々なことを聞かれます。私にはこんな障害があってこんなことが困ったこんなことが役に立ったよー等の話をしています。アロディニアの話が一旦落ち着いたら帰宅時のドタバタを記事にしてみようと思います。とりあえず‥自宅に帰る時に新しく購入したものは、介護保険でシャワーチェア。くもん出版 KUMON 磁石あいうえお盤楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}中型ペグボードセット 240 1個 プラス 23-7293-00楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}あいうえお板。作業療法で使ってたものと全く同じものが公文式のものでした。ペグボードは指先の訓練でとても好きなものだったので買おうか悩みましたが諦めました。
脊髄刺激装置埋込術のために9月中旬に入院しました。1週間の予定です。入院の翌日に手術は予定されていました.トライアルの際は放射線科で行なわれましたが二回目は手術室でした。うつ伏せになり腕は拘束されました。リードの挿入は今回も局所麻酔で行なわれました。腕への刺激はスムーズに足は刺激されてもなかなか反応しなかったためもしかすると効果はないかもと話しながら留置されました。リードが留置された後は、注射で眠らせてもらいました。その間ににジェネレーターが挿入されベッドで病棟に帰ったようです。寝ている分には痛みは我慢できました。(私は左の肩にかつて拘縮があったため左を向いて寝ると翌日肩から指先まで痛みが出現するために左向きで眠れません。)ジェネレーターも左側腹部に挿入してもらったため右向き仰向きと痛まないようにしながら寝返りを打ちました。とにかくおなかがすいていたため待ち望んだ晩ご飯はベッドのギャッジを調整して食べました。夜遅くには看護 師さんの付き添いの元点滴を押しながらトイレ歩行も!動くと痛みはあるものの手術中の薬が効いているのかただただ朝まで寝ていました。
トライアル手術を受けあまり日を置かずに本埋込術を行った方がいいと言われていました。するならば職場の夏休みが使えて祝日の多い9月にと考えていました。後はするかどうかの決断です。トライアルのリードを抜いてもしばらくは腕には効果がありました。足は相変わらず灼熱感に苦しんでいました。主治医に相談しました。Q:はっきりと効果が見られない場合本埋込術を決断される方はどんな方ですか?A:あなたのようにもう、治療法がない方です。ずっと(リードを)入れて治療を続けると効果が見られるかもしれないしね。この治療法のいいところはやめたい時にはリードを抜いて装置を取り出すと元戻ることだよ。家族とも話し合った結果足には聞いていないけれど腕の痛み から解放されるだけでもほんの少しでもQOLが上がると考えて本埋込術を受けることにしました。脊椎の圧迫骨折をしジェネレーターを埋め込んで、痛みから解放されていた若い子が、ウエスト位置の流行の変化のためにジェネレーターの位置変更の手術を受けたという話も決断の後押しをしました。
脊髄刺激装置のリードを埋め込み体外のジェネレータと接続されました。ジェネレータが落下しないようにしっかりとテープで固定されました。私は皮膚が弱いため、トライアルの時の事はテープかぶれの方が印象に残ってます。こんな事なら腰のコルセット持ってきてそれで落ちないようにしてもらうんだった。と。トライアルでは結果的に5日目以降くらいから左腕に効果が実感されました。足は全く変化はありませんでした。脳神経外科の先生からも足の方が後遺症が強いはずと言われていたのですが、SCSの信号が脳細胞に届くのが困難のようでした。壊 れた細胞が大きすぎるのか‥。遅れて効き目を実感する方も結構おられるようで、私は5〜から抜いて1週間ほど腕には緩い効果が見られました。顔に振る化粧水のスプレーの微細な粒子を針の痛みに感じなかった事でこれが効果だと実感できたのです。
まずSCS療法をするためには効果があるかどうかのトライアル手術を受けなければなりませんでした。入院の当日、今日午後から放射線科の造影室でありますよ!と言われてとにかくびっくりした。主治医は『外来で話したよ』と言ったのだけど家族とえ??そうだっけ?状態。術衣を前後ろ逆に着用し、右手に点滴を入れられ、車椅子で造影室へ。うつ伏せになり、始まった‥。背中をあらわにされ、カバーをかけられた。消毒され?局所麻酔をチクチク打たれた。脊椎からゴリゴリと何かが差し込まれている.リードが目的のところに届いているかレントゲンで見ながら『ここびりびりする?』『どう?』とリードを装着する場所を確認しながらリードを装着。ぼーっとするお薬を使ってもらう間も無く終わりました。背中から出たリードの先に本来埋め込むはずのジェネレーターを接続しテープ固定して病棟のベッドへ。私の場合足の方が脳のダメージが大きかったためか、電気信号もかすかな感じでした.左足に効かせようとすると腰の辺りから右脚先までびりびり来ます。低周波のびりびりマシンを体内に直接送ってる感じです。慣れると気持ちよさそう。だけど左にわかるほどほど強い刺激を送ると脳みそが疲れてしまうそうです。(ポンコツ脳みそなので日々の暮らしだけでも疲れていますが‥。)右手はなんとか両腕びりびりを感じていました。わからないくらいの刺激(それでも治療効果はあるそうです。)で調整して2週間の病院生活が始まりました。
大学病院のペイン部へ紹介していただき受診しました。初診日に教授を選べる日もあったのです がたまたまお休みが重なったので現在の主治医の初診日に受診しました。様々な問診票や紹介状の結果初めから『SCS療法と言うのがあってそれしかできることはない』やるつもりはありますか?と言われました。初めて聞く治療法で、手術があると聞いて少し怯みましたが、何しろ辛い日々なので二の句もなくなんでもやります!と答えていました。
私は受傷前は国家資格を持つ専門職として働いていました。1度目の出血後は体力的な問題はあるものの後遺症がなかったために、スムーズに仕事復帰が叶いました。2度目の出血後ICUで医師から目標は?と聞かれて『仕事復帰と車の運転と答えていました。小さな頃からつきたかった職業で、自分でも大きなストレスを感じながらも天職だと思って働いていました。リハビリを重ね自宅に戻ってからも自分の状態がわかってきて、専門職を続けるのは難しいのかもしれないとは思っていました。産業医と、総務部長との 面談で身体の麻痺がないものの、左の気配を感じない(左の半側無視がある)左側が見えない。このことは専門職を続けていくことで、会社にとっても私にとってもリスクになるため、専門職の任を解かれ事務職として会社で働いていくことになりました。専門職の支えとなる事務仕事なのでこれまでも経験のある事務内容です。とても悲しかったことを覚えています。悔しいと言うよりは悲しい気持ちでいっぱいでした。私の半生は専門職として成り立っていたため、そうでない自分であることが悲しかったのです。小学校入学前から目指して、全て、専門職になるためのルートのために勉強をしてきました。今の会社に入って20年、このまま定年まで働いて老人ホームから仕事に通って再雇用の定年が来たらのんびりしようと思っていました。一時は係長をしたこともあります、その経験から頼りにされることは多く、ストレスは確かに大きかったと思います。だけど、これから事務職でやっていけるのか‥と不安でいっぱいでした。
全然現実に記事が追いついていませんが、先日SCS装置の詰め込み術を受けました。今はただただ痛いです。そりゃ皮下脂肪と筋膜の上にポケット作ってそこに異物を入れるのでそうですね。早く追いつけるように記事をアップします!
知り合いの医師か医師からイタきんネット(痛みの近畿のネットワーク)を検索してみては?と教えていただいたので検索したところ様々な痛みに悩む方に対するサイトでした。私もそうですが自分の痛みはどの科にかかっていいのかわからないまずはどの病院なのか?大きな病院を受診してみたくてもどうすれば良いかわからないという方は割におられるのではないかと思います。そういうことに丁寧に説明してあるサイトでした。私は脳からくる痛みであるので脳神経内科かなと思っていましたがどこを受診していいのかわからずにいました、循環器の病院の脳神経外科で 診ていただいているのに勝手に脳神経内科の病院を受診していいのか‥、サイトには脳からくる痛みの場合地域の脳神経内科を受診をし、必要があればその後大学病院を紹介する連携があります。ということが書いてありました。このサイトを踏まえ、次の脳神経外科受診の際に主治医に働きかけました。受診している病院の脳神経内科を紹介してもらいたいこと、いたきんネットというものがあって勉強したのだけれど痛みの専門の先生に見てもらいたいことを伝えました。主治医は脳神経内科といえどもここは循環器の専門病院であるので、いたきんネットに出ているAかB病院(大学病院)を直接紹介します。と言ってもらえました。それからはスムーズに大学病院のペイン部の予約が取れ受診することとなりました。いき、
病気になってよく言われたこと『思考は現実化するんだよ』『引き寄せの法則ってあるからね』という言葉私もそのスピリットで頑張ってきましたが、 退院して自分の頭の処理能力の悪さ、見え方の変化めまいと付き合い痛みと付き合っていくうちにモチベーションを保つのが一番難しいのではないかと感じています。入院中は『仕事に復帰する!』『車の運転をする!』等いろんな希望を持ってリハビリしていましたが現実に直面し、ひとつ、ふたつと色々な理由をつけ諦めてしまってモチベを保つのが難しいと振り返っています。たまに同僚や家族から今はまだこうだけど治りますよ!と言われると(あぁそうだった私の目標はそうだった‥日々の生活に追われ忘れていた‥と思うことがあります。モチベーション高く持つ秘訣があればぜひ知りたいです。
令和3年3月2日右中大脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を起こす。3月3日機能動脈コイル塞栓術を受ける。後遺症なし。発症時、同時に椎骨動脈に解離性脳動脈瘤が見つかる。令和3年4月22日退院。6月1日仕事復帰。令和6年7月23日再出血を起こし脳動脈クリッピング術を 受ける。8月23日リハビリ病院へ転院。11月4日退院。3月5日仕事復帰。
私の場合、一度目のくも膜下出血で救急搬送で運ばれたのは整形外科と脳外科の専門病院でした。二度目は循環器専門の病院でした。現在も脳血管の状態については循環器専門病院で見ていただいていますが、後遺症については循環器の先生はノータッチです。紹介状は書きますよというスタンス。半盲、左肩の痛みについては自力で決めました。半盲は20年近くお世話になっていた眼科を受診して、半盲の障害者認定をしていただけるアイセンターに紹介していただきました。半盲については改善することはない。めまい等は半盲が原因で起きているわけではない。ということがわかりました。半盲は改善することはないので受診の必要はありません。左肩の痛み、腕が上がらないことについてはケアマネさんに教えていただいた上肢の専門医のいる整形外科を受診しました。結 果、左肩に拘縮が起きていたため、ボトックスの注射とリハビリを継続し、現在は動きには支障がありませんが、たまに腰や指先まで痺れや痛みが走ります。筋肉が繋がっているため、起こる症状と聞いているので慌ててストレッチを行っています。整形外科は、1年近く受診してご卒業となりました。高次脳機能障害についてはリハビリ病院を退院して見ていただいたことがありません。
先日は下書き段階で投稿してしまいました。これが改訂版です。薬はほとんど効いていなかったため、自衛をして生活しています。頭を洗った後の水滴がかからないよう髪は最後に洗い、直ぐに水滴が出ないようにタオルドライする。シャワーハンドルを取る時必ず右手で取る。仕事の名札は左手に当たらない位置にする。左足に当たる布の感覚さえナイフのような痛みなので洗濯物を畳むときも当たらないように右足側で行う。簡単なことですが50年生きてきた中での習慣があるのでちょっとした事をやってしまいしょっちゅううわ!痛!と言っています。1日を通していつが痛いとか例えばカフェインを多く取ったからとか睡眠不足とか関係あるのか等考え、コーヒー断ちをしたりしてみましたが因果関係はよくわかりません。よく聞かれるのですがそれならばスカートや、ズボンの布は痛くないのか?普通皮膚で感じるような触覚は洋服を着てしばらく経つと動きがない限り、感じないと思うのですがそれです。普通の皮膚で感じる微弱な刺激を異常に脳みそが変換してしまっているのだと思うので履いて暫く経つズボンには何も感じません。10年以上ぶりに会った知り合いの医師に痛い、だけども、血管の専門医にかかっているので思うような返答もないし、内服治療も手探りがない、理解はされていない気がする。等々と愚痴っていたところ。『いたきんネット🟰痛みの近畿のネットワーク』というのを見つけたのでしらべてみては??と教えていただきました。
腕と、足の知覚異常を訴えても主治医の反応がイマイチだったため、自分で必死にググった結果『視床痛』に似ていると気がつきました。受傷後数ヶ月遅れて出現すること、灼熱感。私の場合足の裏はマジックテープを踏んだような感じ、足は灼熱感、火傷した二日目のようなヒリヒリ感を感じるようになってきました。腕は無機質な物に触れると(少しの冷たさ)針に刺される痛み。冷たい水も、シャワーやスプレーの小さな飛沫も針の痛みです。これは前腕から手の甲がひどく手のひらはちょっとした角張ったものを握っても激痛です。主治医に視床痛に似ていますと伝えたところ「視床は受傷してないから関係ないよ」との返事でしたが、次の外来時に、アロディニアっていう症状ではないかとのこと、診断名ではなく症状だよとのこと。それからいろんな薬を試すこととなりました。リリカを飲んでみた効果はうーん少しマシ?程度でしたがふらつきがかなり強かったです。和式トイレをまたごうとしてふらついて足を便器に突っ込みそうになりました。これが道路だったらと思うと冷や汗ものです。リリカと、ノイロトロピンを一緒に飲むと効果が上がるとのことで一緒に飲んでみたこともあります。結局はあまりかわりませんでした。ただ、リリカを飲むと副作用が強かったため、会社の産業医からメリットよりもデメリットが危険すぎるのでやめたほうがいいと思いますという助言をいただきました。受傷して半年くらいは抗てんかん薬を飲んでいましたが眠気が強かったので早く辞めたいと思っていました。(受傷範囲が広いのでてんかんを起こす可能性が高かったのですが幸いなことに起こしたことはありません)眠気も辛いですがふらつきは急にふらっときて立っていられないことがありかなり神経を使います。リリカ、ノイロトロピンの次にはレベチラセタムを飲みました。レベチラセタムの次がトリプタノール。最後は、サインバルタを飲みました。今はリリカの副作用を抑えたタリージェを飲んでいます。どれも少しマシかな程度でただただふらつきとの戦いでした。後で思うとあー効いてたのかな?と思う感じはあります。サインバルタは少しマシだった気もします。
左半身の知覚異常はリハビリ病院から退院する受傷後4ヶ月を過ぎる頃から酷くなってきました。シャワーを浴び濡れた髪から1滴落ちた雫が針の塊で刺されるようでした。足の裏は常にマジックテープを踏んでいるよう。冷たいものを触るとドライアイスに触れたようです。そういえば病院で出てくる冷えたバナナはカチカチに凍ったバナバのような冷たさに感じていました。ただ、その頃の知覚異常は左の肩の拘縮の強烈な痛みで紛れていた感じです。リハビリ病院を退院した後の主治医は循環器専門病院の外科の先生でした。外来時にしびれや痛みを訴えてもう~ん。という感じでした。まずはリハビリ病院で一度は拒否したリリカを飲んでみることになりました。
私の脳動脈瘤は右中大脳動脈にあり2回目の再出血により右側頭葉内に数センチの血腫ができた結果左同名半盲と左半側空間無視の後遺症が残りました。同名半盲とは両目とも同じ左側の視野が欠けています。(というよりありません)。ただ、自分では見えていないことがわかりません。左側で手をひらひら動かされるとあ!見えていない!と気がつく感じです。視野について調べるとこんな感じで塗りつぶされている画像が出てきますがそうではありません。見えている点がほんの少しでもあるのか、脳みそが補うメカニズムがあるのか何なのか・・・黒塗りになっているわけでもないので自分の見え方がどんななのか2年たった今でも完全に理解できません。当の本人でもわからないので仕方ないと思うのですが、リハビリ病院の看護師さんから、え?半盲って半分黒塗りじゃないの?見えてるの?(見えてはいないと思います真っ黒ではないのです。)それならば危ないね自分が見えてないことわからないんだね教科書には黒塗りって書いてあったから半盲の世界は半分黒塗りなのだと思っていたと言われました。これまで他の患者さんから聞くことがなかったのだろうけどリハビリ病院の看護師さんでもこれなのだから世間から理解されないのも仕方ないのかなと感じました。半分左側の視野がない上に左半側空間無視で左側の気配がないので、左側にやってきた人に気がつかない、電車で左側に座っていた人がいつの間にかいなくなった。ということが日常茶飯事です。リハビリ病院の看護師さんにどんな感じなの?と聞かれると神隠しに合ってる感じだよと答えていました。受傷して1年以上たつ頃からはだんだん慣れてきてこれも個性と開き直るようになりました。ただ私は見た目が健常者に見えるようなのでかなりおかしな行動をとっているときもあるかと思います。
作業療法では上肢の訓練をしました。上がらなかった腕が少し上がるようになりましたが細かい動きはできませんでした。作業療法士さん曰く、大きな筋肉から回復していきますとのこと。麻痺を実感した日常の動作は。①少なくなった歯磨き粉のチューブを絞れない。②薬袋が破れない。左手(指)に入れる力の加減ができないため、薬がこぼれてしまう。③お肉を切るときに左手のフォークの抑えの強さの加減ができない。ものを持てるようになったことが嬉しくて、お風呂の時間700ミリリットル以上お湯の入った洗面器を抱えてしまい肩が痛くなってしまいました。ごく普通に動いていたことが不可能になり、動くようになったことがとても嬉しかったのです。この痛みが今も続く痛みの原因になったと思っています。
段々と動くようになりまずは杖を使い、次に一点杖を使い短下肢装具をつけ歩く練習をしました。歩き始めは膝折れをしていました。絶対的に筋力が不足していると感じていました。自分でできる下肢の筋トレは敢えてリハビリの時間にはやってもらわずに、お部屋のベッドの柵広い廊下の手すりを使って1日100回を目標にコツコツとやっていました。歩き方を忘れてしまっていたので(忘れたというよりリセットされた感じです。)効率的な歩き方、足の出し方踏み込む時はどこに力を入れるのか、蹴るのはどのように蹴るのか。等々、産まれてこのかた一度も歩き方は習っていないので、普通に歩くということはとても大変でした。その時に思ったのは赤ちゃんはハイハイをして、自然と立ち上がり自然と歩き方を習わずに少しずつ歩けるようになるので赤ちゃんってすごいなと思いました。
言語聴覚士さんのテストで、まっすぐひかれた線の中心に線を引いてくださいと言われて引いてみた。明らかに右寄り線を引いてしまう。線の左側を認識できないため、右に長い線だと頭が認識してしまうせいだった。無意識のうちにサラッとやると左が認識できないのでそう言うことが起こる。自分は左側が認識できないと言うことを理解してみてみるとあー左にも線があるのかと分かる。(と言っても完全にはわかってないと思われる)計算問題等机上のテキストも左はおそらく欠けているのだろうなと思いながら挑むので時間が掛かる。(退院して日常に慣れてしまった今、慎重にみる癖が曖昧になってしまい病気になる前の感覚で書類を読むと左側にある文章はすっぽり抜けている。)よくあること。書類を記入する。見直しをすると名前を書いていない。あ左!という感じです。リハビリテーションの内容は割愛するけれども、素人相手に詳しい説明をしても無駄だと思うのか、たいした説明を受けぬまま1ヶ月ほどを過ごした。わたしは右の脳がやられたので右脳の優位性のために左側を無視する症状が起こるのだが左脳が右の脳を補おうとしないために起きている症状なので、左に意識を払うことで左脳が補おうとすると言うことを、ふた月目に教わった。(もっと早く教えてよってその時は思いましたリハビリに挑む姿勢が変わったのに‥)机上の訓練はまだ注意を払える方だったようだけれども、ちょっとした行動の時に左に注意が払えずに頭をぶつけることが多数あった。左側の気配のがないために、障害物を認識しないのだ。歩けるようになってからは廊下の左側にシールを貼られそれを歩きながら見つけると言う訓練もあった。わたしの場合同時進行も苦手になってしまっていたために、なにかに集中すると左は完全に疎かになっていた。トイレ行きたいなーと思いながら歩くと左側から来た車椅子の方にぶつかる寸前!など。左無視については私の性格は大雑把なので気にしなーいと思って生きています。