春ですね。 | 楽しんで木・自然素材・土壁の家づくりをするために

春ですね。

随分久しぶりに服を買いました。今日はそれを着て仕事に。

ピンクのシャツと緑のパンツ。

春らしくていいなと思っていたのですが・・・

今日は土地を見に行くことをすっかり忘れてて、案の定、敷地調査してる途中で道路の真ん中で地べたに座り込んで、図面を作成。

車に乗る瞬間に新調の服が汚れているのに気づく。

やっぱ新しく買っても、すぐにぼろぼろになりそう。いつも買って満足。着て適当。

そういえば、昔は着飾るのがすきで、見る人しかわからないセンスを主張したいって時期があったような。

今思うとセンスのかけらもなく、人と違うってアピールしたいだけで、中身なしって感じです。

歳のせいか、人目を気にするために、着飾るのはもうめんどくさいかんじで、価値観がわからなくなってしまった・・・

まだまだ人目を気にしないと、仕事、プライベート共に通用しないのでコギレイ程度に。

さて本題に。

最近、年上の方と話したことなんですが、

とある建築家さんが

「家づくりのお客さんは私のパトロンである、私の作品づくりのためのものである。」と自信満々に言い切っていたって話を聞いたのですが

すごい・・・。

私の自論ですが、自信家さんってとこは見習いたいところですが、個人の感性、力ってたいしたことないような気がします。

私は大工さんのように造ることはできません。左官屋さんのように塗れません。
実際に家を建てることできないんです。

所詮私は、窓口なり、お客さんの話を聞いて考え、線を引くことしかできません。
家づくりの1コマにしかすぎません。

私のするべきことは、お客さん、造り手がやりがいのあるステージを造ることかな。

個性って個人を主張することも大切なことの一つだと思うのですが、学生時代のクラブ活動や文化祭のように、人を活かし、分かち合いもっと大きなものを得ることのために個性を使うのが一番いいような気がします。

人は相手を満たしてあげることで、自分も満たされる。
その対価として満たしてくれるようとする。

相乗効果が個人を超えるなんて思います。

楽しんで木・自然素材・土壁の家づくりをするために

現代の風潮として、国会が代表するように、大きな災害があった最中でも、問題に向き合うことなく、人のアラを追求し責め合っている。

人は皆、欠点もミスも甘えもあらゆる人や組織から守られながら、気付かない形で許されながら生きている。

それがあって毎日幸せに暮らしていける。
そのことを念頭に置けば発言は変わるような。

また、人に伝えるって、本来は自分が経験しないとできないもので、チャレンジし、成功した時のうれしさ、頭をうち失敗したときの苦しみ、そのあとの人のぬくもり。
その経験が、人を励まし、ゆるし、認めることができるんだろう。

守られたところ、甘えてる状態、立ち止まってる状態では何も生まない。
タダの指摘や悪口になってしまうような気がする。

ましてや人を見るポイントが、弁の立つ人、地位、名誉、世間基準になって自分の判断ができなくなる。

それぞれ皆違う感情があり、個性的に生きていくためには、自分で勉強し判断することでしか解決方法はないように思います。

自分らしい道を進んでいけるようにがんばろうと思う今日この頃でした。

ちょっとすっきりしたいがためのブログでした。

明日からまた一つプランをしないと。頭真っ白にしてがんばろー。