建築仲間の志 | 楽しんで木・自然素材・土壁の家づくりをするために

建築仲間の志

以下のブログ記事は私の昔からの友人でもあり、共に建築を志す仲間が書いたものです。



街並はきれいになり、神戸は復興を果たした。

でも行政主導の仮設住宅、復興住宅建設や都市再開発によって分断されたコミュニティーは戻らず、多くの孤独死やシャッター通り商店街の増加へとつながり、今も苦しんでいる人たちがいる。

「忘れてはいけない日」

でも、おかれている状況や立場によっては「忘れてしまいたい日」であるのも事実です。

神戸で設計事務所を構える自分にとっては「忘れてはいけない日」であるだけでなく、立ち止まって考える日でもあります。

震災以前に建てられた家は施工に対するチェックが甘く、震災で倒れた住宅の多くは手抜き工事によるものでした。

その悲しい事実を踏まえて法律が強化され、その基準通りに設計を行い、設計図通りに施工がされていれば地震に負けない家になる。

全壊した自宅や隣近所、壊滅状態のよく知った商店街、地域住民が協力して行った救助活動、避難所生活、その後の復興過程を経験した事が、今の自分の設計活動のコアな部分になっている。

今日は再確認の日です。

「家族の命と財産を守ってくれる家をつくる」

震災を経験した神戸で、住宅の設計に携わる者としての6,434人に対する責任です。

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友人はこの震災で、気がつくと家の1階が潰れ、2階が地面まで落ちてきて、しばらくの間、靴さえもなく、裸足で道を歩き続けたらしい。

私の比ではありません。

それが今、被害者という立場ではなく、予期もせぬ大きな自然現象に対して、少しでも同じことを繰り返さないように、自分が出来ることを少しずつ進んでいる。

仕事とは私たちが生活するためにするもんです。

しかし、それだけではなく、社会に対する貢献、次世代への継承など、自分の身をすり減らしてまでしたいと思う気持ちがある。それは多分、苦い経験からくるものもあるからでしょう。

地位や立場から、安定、現状維持を求めることよりも、今やこれまでの問題点を少しでも改善したいと思う気持ちって簡単なことではないと思うけど、大切だと思うんです。

最近思うことなんですが、様々な論に対して綺麗事、間違っているという批評、批判ってよく耳にするんですが、その論に対して、先入観で判断したり、学びや自分の論もなく批判しているだけが一番問題ではないかと思う。

言霊も、自論をもたないとどこにも進まないと思います。 ちょっと横道それたかも・・・


楽しんで木・自然素材・土壁の家づくりをするために


この友人とよく遊ぶのですが、真面目な話なんてほとんどしたこないし、ましてや酒の席ではタブーですしね。
話すといったらいつも何したら楽しいとか、しょうもない世間話位ですかね。

普段の姿を見ると、こんな経験をしたこと、想いをもっているように到底思えません(笑)

人の考えや信念は「氷山の一角」の水面に沈んでる部分だと思うんです。
それを見るために、友人の一年に一回書くブログを楽しみにしてるんです。




自分が経験や努力、学ばないで批判や求めることをしても結局、意味も、影響力も、答えもない。

自分に言い聞かせながら書いてみました。