札幌への引っ越しも無事に終え、フットサルを続けるかバレーを続けるか迷います。同じ職場にバレー経験がある子がいて、その子もやりたいと言っていたのと、その年に行われた世界バレーを観に行ったのもあってバレーを続けるでほぼ気持ちは固まってました。そんななか観に行った「全道フットサル選手権」で事件はおこります。その大会にコンサドーレを退団したもんじゃが出ることは知ってました。もんじゃがみたいのもありましたが、一番の目的はその大会を生で観ることで自分のレベルではもう無理だろうと挫折することでした。全道大会だけあって素晴らしい試合が続きます。もんじゃの試合になりました。さすが元プロ、別格です。………フットサルへの想いを断ち切るために来たはずでしたが、でしたが!!初めて宮の沢でもんじゃのプレーを観てフットサルをやろうと思ったあの頃の気持ちに再びなりました。フットサルだけじゃなくサッカーもやりたいと思いました。数分間の一人のプレーがわたくしの気持ちを変えました。バレーは見るだけでいい、フットサルとサッカーどっちもやりたい。
もし、もんじゃがあの大会に出ていなかったら今頃自分はサッカーもフットサルもやってませんでした。指導者にもなってませんでした。たった数分間のプレーで2度も背中を押してくれたもんじゃこと阿部哲也。わたくしの中で彼は日本一のゴールキーパーです。
フットサルで日本代表になる日もそう遠くないでしょう
しかし、今やっても中途半端になると思い、当時やっていたバレーボールで自分が納得するプレーを出来るようになった時、その時に挑戦しようニコニコチョキ
月日は流れ自信もつき、チームの人数も増えてきたので「そろそろいいんじゃないか?」と。そして、とうとう念願だったフットサルの社会人チームへ入団が決定し、同時にチームの代表(いろいろな都合で3人の代表者がいないといけないシステムでした)も降ろさせてもらい、しばらくはフットサルメインでやらせてほしいと告げ、フットボール人生がスタートしました。3ヶ月後にはサッカーもはじめました(しかもいきなり公式戦しょぼん)。サッカー、フットサル、バレー、凄く充実してました。ですが当時24歳だった自分の中で、「札幌へ」という想いに焦りが出てきます。中学生の頃からずっと札幌に住んで夢を叶えたいと思ってました。その夢は21歳の時に諦めることになりましたが、札幌には住みたいという気持ちは消えませんでした。2002年にコンサドーレと出会い、札幌への気持ちは大きくなっていきます。サッカーとフットサルはどっちもチームメイトに恵まれていたので、かなり悩みました。が、25歳になったわたくしは「札幌へ行く」という決断をします。 さらにつづく
流れにのって、パート3です。今回は、Fリーグのエスポラーダ北海道「“もんじゃ”こと阿部哲也」選手です。いつかはサッカー(フットサル)をやってみたいという夢を持っていたわたくしの背中を押してくれたのがもんじゃでした。初めての練習見学はコンサドーレ(サテライト)と道都大学の練習試合の日で、その時ゴールを守っていたのが当時“第4キーパー”のもんじゃでした。大きな声でのコーチング、精度のいいゴールキック、セーフティクリア、セーブ、素人の僕でも「凄い…これがプロの世界かぁ…こんな凄い選手が第4GKなんて…」と思うほど、とにかく凄かったです。第4ですから同じチームのキーパーが2人同時に負傷もしくは出場停止になってやっとベンチ入り、出場なんて程遠い話しです。プロチームですからそれが当たり前なのでしょうが、コンサドーレはキーパーの層が厚いのです。藤ヶ谷(現ガンバ)ですらベンチでしたから………。そんなもんじゃのプレーを目の前にして「やってみたいじゃダメだ。やるんだ。キーパーをやるんだ」と何度も思い地元へ帰りました(当時はまだ札幌に住んでませんでした)。 つづく音符