CD『レ・ミゼラブル/オリジナル・フレンチ・コンセプト・アルバム』を聞いて、驚いたのなんの。
そして、『レミゼ』への興味がさらに増したので、こりゃもう、調べるしかないっ!
というわけで。
■■■■■まずは、舞台『レ・ミゼラブル』パリ版(1980)からロンドン版(1985)への流れをまとめてみました。
ネタ元は、『「レ・ミゼラブル」をつくった男たち~ブーブリルとシェーンベルク そのミュージカルの世界』という書籍で、
著:マーガレット・ヴァーメット、翻訳:高城綾子、三元社(2012年)
いい本です。
以下は、ほとんどが、引き写し。
ただ、インタビュー集のため、時系列になっておらず、人によって言うことが違う部分もあったりして、疑問が解消されない点もあります。
●1978年、アラン・ブーブリル(作詞)が舞台『オリバー』を観ている時に、ガブローシュのイメージが湧き、『レミゼ』の構想を思いつく。
クロード=ミッシェル・シェーンベルク(作曲)と2人で着手。
●1980年、コンセプトアルバム発表。
同年9月、パリ初演。演出は、映画監督・俳優のロベール・オッセン(←驚き。初めて知った)
3ケ月で50万人動員の大ヒット。
※コンセプトアルバムは、おそらく舞台版と同じでしょうが(メインでないために収録されてない曲はあるにしても)、
アレンジや歌詞や曲順などが、まったく同一か、多少違うのかは、分かりません。
※特に重要な謎は、舞台版がどこで終わるのか。
CD『オリジナル・フレンチ・コンセプト・アルバム』には、バルジャンが召されるまでが入っているのに、
書籍のトレバー・ナン(演出)の談話に「フランス版はバリケートで終わっていた」という一文があって、
結局どっちだったのかが分からず仕舞い。
いずれにせよ、最後の「民衆の歌」は無かったみたいです。
●2年後、キャメロン・マッキントッシュが、知人からコンセプトアルバムを渡され、強く惹かれる。
権利を押さえ、ロンドン版に作りかえる作業に着手。
トレバー・ナンとジョン・ケアードに演出を依頼する。
※マッキントッシュたちは、舞台版は観てないようです。
コンセプトアルバムや楽譜、台本のみ。
作りかえるポイントは4点。
1)フランス語を英語にする。
2)物語を知らない、フランス以外の観客にも分かるようにする。
(パリ版は、フランスでは誰もが当然知ってるからとの理由で、
冒頭のバルジャンが燭台を盗んで、その後改心する部分が無い。
他にも、同じ理由で、だいぶ割愛されていた。
上記の「バリケードで終わっていた」というのも、「それ以降の話はもう分かってる」だそうでw 本当?)
3)代表的なソロが無いバルジャン(ソロは『バルジャンの独白』のみ)、ジャベール、マリウスに、その人物像を表すテーマソングを作る。
「彼らに一曲なければ、ミュージカルの主要人物にはなれません。彼らには自分自身をたっぷり表現する瞬間があるべきです。それで彼らの存在理由がわかります(ケアード談)」
4)全体的に歌詞を大幅に直す。
※尚、修正作業の文中に、パリ版のプロデューサーや演出家の名がまったく出てこず、
折衝はシェーンベルクとブーブリルとのみなため、
『レミゼ』の決定権は、完全にこの2人が握っていたものと推察できます。
●修正作業は、書籍によると、おそらく下記の流れ。(情報がバラバラのため、正確ではないですが)
・ナンとケアードがユゴーの原作を読みこみ、どう舞台化するかを検討。
・ナンが書いたシノプシスを基に、シェーンベルクが曲を直していく。
・ジェームズ・フェントンが、早い段階から作詞者として加わる。
プロローグ部分の構想をまとめたのもフェントン。
しかし、18ケ月経っても進まないため、フェントンは降板。
(ナンの談話では、フェントンの歌詞は「歌えないことが多かった」)
・1985年3月(稽古開始(=8月1日)まで半年を切ってる!)ハーバート・クレッツマーが引き継ぐ。
彼は仕事が速く、コツもつかんでて、みるみる作りあげていった。
ブーブリルも作詞に加わってるが、ほとんどクレッツマーで、ブーブリルは提言が主(ブーブリル談)。
ブーブリルは英語ヘタだし。
新曲(『彼を帰して』『下水道』『カフェソング』など)は、シェーンベルクの曲先行で、あとからクレッツマーが合う歌詞をつけていった。
ただ、『星よ』のみ、クレッツマーの詞が先。
クレッツマーは、旧曲に関しても、全体的に歌詞を大幅に直していき、
旋律のリプライズや相互リンクも、シェーンベルクとキャッチボールしながら、作っていった。
●結果、2時間に満たなかったパリ版が、ロンドン版のプレビューでは3時間30分。
その後、削って、初日には3時間15分だったとか。
1985年10月28日開幕。
■■■■■CD『オリジナル・フレンチ・コンセプト・アルバム』全曲紹介(その1)
バルジャン=Maurice Barrier
ジャベール=Jacques Mercier
ファンティーヌ=Rose Laurens
(上記のように、歌詞や曲名が今のとかなり違うのですが、
分かりやすいように、今の日本版の表記に準じてます)
(ライナーノーツには全曲の歌詞が載っておりますが、
私はフランス語がまったく分からないため、そこの理解ができていません)
■(『プロローグ』(囚人の歌~仮釈放~司教~バルジャンの独白)無し)
フランスではこの部分は、みんな知ってるので省略したとか。って、おいおいw
「浦島太郎の話はみんな知ってるので、カメ助ける部分は飛ばして、竜宮城から始めようよ」ってこと?
吉良との確執を描かず、松の廊下から? みたいな。
■というわけで、このCDは『一日の終わりに』からスタート
(工場~ファンティーヌへのいじめ~マドレーヌ氏登場~クビ)
この曲の出だしで芝居をスタートさせることをシェーンベルクは気にいってたので、
ロンドン版でプロローグを付け加えるのに、なかなか同意しなかったそうです。
■『みじめさ』
パリ版にしか存在しない曲。
旋律やアレンジは、なんと『オン・マイ・オウン』!
『オン・マイ・オウン』で言うところの「♪またあたしひとり行くところもないわ」あたりのメロディも、ちゃんとあります。
だけど、歌うのがファンティーヌ。
歌詞はまったく違います。
タイトルが、ずばり『L'Air De La misere(みじめさ)』というだけあって、
ファンティーヌは悲痛な声で、しきりに「ラ・ミゼル」「ラ・ミゼル」と連呼。
「みじめ!」「みじめ!」と訴えかける内容なんでしょうね。フランス語が分からなくても、ひしひし伝わってきます。
この芝居の中心となるテーマ。
まだこの時点では、ファンティーヌはラブリーレイディに堕ちてないので、
彼女が「みじめ」と歌ってるのは、
クビになったことなのか。それとも、それまでの自分の生涯すべてをそう思ってるのか。
フランス語歌詞が分からないため、そこは不明ですが。
ロンドン版にするあたって、
エポニーヌのソロナンバーが欲しかったのと、
ファンティーヌにはバラードが2曲連続していたため、
この『みじめさ』をエポの『オン・マイ・オウン』に書き直すことを、ナン&ケアードはシェーンベルクに提案。
しかし、とっても思い入れが強く(スコアを書いた最初の曲でもある)、
また、ユゴーのテーマを伝える中心的な曲と捉えていたため、
シェーンベルクは、狂わんばかりで、書き直しを断固拒否。
しかし、ナン、ケアード、クレッツマーが辛抱強く詩を作り直し続け、提案し続け、やっと納得してもらったとか。
■『波止場』
水兵「♪女の匂いだぜ~」など無く、
CDには老婆「♪あんたの髪はきれいだから」のやりとりだけ。
パリ版がそうだったのか。それとも、単にCDに入ってないだけのかは不明です。
CDには娼婦たちの『ラブリーレイディ』ナンバーも入ってませんが、これはパリ版にはあったそうです。
ただ、『夜』という曲名で、おとなしめだったのを、ロンドン版でクレッツマーが直したとか。
■『夢やぶれて』
これは同じ。
ソロですが、バックにコーラスが優しく流れます。
そのまま「♪お入り船長さん」に移るけど、どこか夢の中のような曲調です。
酒飲んで、現実を遮断したのでしょうか。
そして、いかれた音程で「♪抱いてる女は死んでるわ」へ。
(上にも書いたように、歌詞は違う可能性があるのですが、分かりやすさ優先で、現在のものを記してます)
■『ファンティーヌの逮捕』
ジャベール「♪話を聞こうか 誰がどうしたか」から。
(バマタボア=ドブネズミ野郎との「♪うまけりゃ食べてもいいぜ」「♪気どるな たいした度胸だ」「♪娼婦だってドブネズミと寝ないわ」の一連は、CDには入っていません)
~ジャベールに懇願するファンティーヌ。
~マドレーヌ氏登場。
~ファンティーヌとマドレーヌ氏のかけあい。ここでもファンティーヌは「みじめ!」連呼。
~マドレーヌ氏「♪神の御名において 助けよう!」
ちなみに、ジャベールは全編を通して悪声で、悪代官のようです。
ファンティーヌも、おばさん声。って、余計な記述ですね、ごめんファンテ。
■(『馬車の暴走』『裁き』『ファンティーヌの死』『対決』無し)
あの『裁き』が無い! 『ファンティーヌの死』も『対決』も無い!
歌が無いだけでレチタティーボ(話し言葉を節にのせた、セリフ以上歌未満の部分のこと)はあったのか、
そのあたりは不明ですが(でも、歌があったら、CDに入れないはずないか)、
全体的にバルジャンが歌いあげるナンバーが無く、存在感が薄いです。
トータルで聞いても、ガブにも負けてる。
歌は無くとも、セリフ(レチタティーボ)や存在感で柱となりうるバルだったのでしょうか。
『五右衛門ロック』だって、舞台で観たら、古田新太はバリバリ主役なのに、CDで聞いたら空気ですもんね。って、これも余計か。新感線ファンすまぬ。
■『幼いコゼット』
「♪あの雲の上にぃぃ~」
~マダムテナ登場
このあたり、曲は同じ。
でも、歌詞が違うそうです。
パリ版では「王子様が迎えに来てくれる」という歌詞だったのを、クレッツマーが、
コゼットは王子のことを思ったりはしないと考え、直したそうです。
「認容や友達、心地よさ、愛する母親の姿=白いドレスの人を、なおも夢見ている。これがコゼットの夢の世界で、雲の中にある彼女のお城だ」
■『この家の主』
曲や雰囲気は同じですが、歌詞がだいぶ違うそうです。
パリ版では、このテナルディエは喜劇的でウィットに富んだ好人物だった。
ただ、それだけでは、下水道での怖い男と整合しない。
そのため、『この家の主』でテナルディエの人間像をきちんと示そうと、ロンドン版では歌詞を直したとか。
■(コゼットと森で会っての「♪名前を教えて」「♪はいコゼット」無し)
無いですが、
そもそも、これが入ったのは、NY10周年記念公演以降で、
日本でも1997年から。
■『取引』~『裏切りのワルツ』
曲は同じ。
交渉が終わるや、
コゼットくるくるや、
去っていく時の、パンチのきいた曲の盛り上がり(この部分が最も好きなのに!)も無く、フェードアウト。
(でもこれは、ロンドンキャスト版のCDも同様なので、途中で追加になったと思われます)
■『乞食たち』~『強奪』
ガブでスタート。張り切って飛ばします(このあたり、曲は同じ)
~喧嘩する娼婦たちは無し
~「ついてこい!」の後、下水道でバルジャンがマリウスを担いで歩く時のフレーズがしばらく流れます。マリウス、気を失うのが早すぎ(←たぶん違う
~「♪ラマルクは重症だ」あたりを歌いあげるのは乞食。アンジョルラスの歌無し
~ガブの歌はまだ続く。映画版みたい
~テナルディエ「♪仕事だ 抜かるな」
~マダム・テナルディエ「♪あそこにいるのは貧乏学生」
~マリウスとエポニーヌ「♪エポニーヌ元気か」「♪捜してくれたの?」
これで終わり
■(『ジャベールの介入』無し)
単にCDに入ってないだけなのかは不明。
■(『星よ』無し)
『星よ』は、ロンドン版で新たに作られました。
新曲の中でこのナンバーだけは、クレッツマーの詞が先行し、それにシェーンベルクが曲をつけたそうです。
クレッツマーのこの歌詞の見解については、後日、再録します。
この『星よ』は、ロンドン公演1年目は、時間が飛ぶ時(『裏切りのワルツ』と『乞食たち』の間)にありました。
ロンドンキャスト版CDでも、そこに入ってるのが確認できます。
しかし、マッキントッシュによると、流れを止めるので、ロンドン公演2年目に、今の位置(パリで)に移したとか。
それが映画版では再び移ってるため、『星よ』は、ミュージカル界の「さまよえるナンバー」と呼ばれています(←ウソ
■『ア・ベ・セー・カフェ』
「♪君が今夜居合わせたら 僕のこの想いがわかるだろう~」
恋に落ちたマリウスが夢見るように歌う甘いナンバー
~赤だの黒だの
このナンバーで、マリウスに「こらこら」と言うのはコンブフェールだけです。他の学生は歌わず。
~そして、スタッカートの「♪仲間は準備できた」「♪誰にも止められない」になる。つまり、前のナンバーと順番が逆なんですね。
歌の受け持ちも、今のとは異なります。
やっとここでアンジョルラスが歌い、クールフェラック、コンブフェール、フイイと続きます。(他の学生は歌わず)
■『民衆の歌』
学生たちはバックコーラスで、アンジョルラスが1人で歌ってます。
まっ、やっとの出番ですからね。存分にどうぞ。
■『プリュメ街』
曲は同じ。
コゼットとバルジャン。
~マリウス「♪燃える太陽の矢が胸に飛び込んだ~」
ロンドン以降ではエポニーヌが「♪突き刺さる彼の言葉が」と歌う部分も、マリウスが歌い続けてます。
■『Voila le Soir Qui Tombe』
エポニーヌのナンバー。
聞いたことない曲なので(一瞬だけ「♪届けに行くと父親が出たの」の辺のフレーズが現れます)、ロンドン以降カットされたのでしょうね。
エポニーヌが、焦ってるような胸の内を、スタッカートで歌ってますが、歌詞不明。
(もしかして、これが『襲撃』???)
※追記
このメロディは、『恵みの雨』最初の、
マリウス「♪どうした君 何をエポニーヌ」あたりに流用されてました。
■『心は愛に溺れて』
曲は同じ。
マリウスとコゼットの2人で、エポニーヌが歌うのは最後だけ。
概して、このパリ版では、1人ずつが交互に歌い、
ロンドン版以降にある、あの見事な二重唱、三重唱…は、ほとんど無いです。
■(『プリュメ街の襲撃』無し)
■『L 'Un Vers l'Autre』
聞いたことない曲。
エポニーヌが、マリウスに恋こがれて、片思いを嘆いているような歌。つまり『オン・マイ・オウン』の位置づけだったナンバーでしょうか。
歌詞不明(これも「ミゼル」「ミゼル」)
■『La Faute a Voltaire』
ガブが楽しそうに歌ってます。
長い、ちゃんとしたナンバーです。
『ちびっこ仲間』とまったく同じメロディ。でも歌詞はぜんぜん違うそうで。
興味深いのは、バックコーラス(&口笛)が、複数の子供たちの歌声に聞こえるんです。
パリ版の『レミゼ』は、複数の浮浪児たちが出てたということ???
それとも、CDだけの特別アレンジなのでしょうか???
もしくは、出てる大人たち(アンサンブル)、みんな子供声だったとか。。。まさか。
■『La Nuit de l'Angoisse』
学生たちが蜂起する歌らしく、短いフレーズが次々入れ替わっていきます。
おなじみのフレーズも、いくつかあります。
そして、フイイ→アンジョルラスが1人ずつ『共に飲もう』(「♪過ぎた日にかんぱい」)を歌います。
これ、皆で歌うんで情感がありますが、1人で歌うと、ちょっとわびしい。
■『ワン・デイ・モア』
曲は、ほぼ同じ。
バルジャン、コゼット、マリウス、エポニーヌ、まではほぼ同じですが、
アンジョルラス「♪嵐の日までぇぇ」が無くて、
ジャベール、
テナ夫婦(スローテンポ)と続き、
そして、次がなんと、学生たちとガブのかけあい(!)。ガブパートがあります(!)
学生たち「♪新しい日 この日」
ガブ「♪旗を掲げて」
学生たち「♪誰もが自由」
学生たち「♪誰もが自由」
学生たち「♪新しい世界」
ガブ「♪勝ち取るための」
学生たち&ガブ「♪歌を聴いたか?」
ってな具合で。
(歌詞は今のとは違うかも)
あとは大勢が混ざり合うのですが、
マリウス「♪私は戦おう」が無いし、
最後の「♪明日には分かる神の御心が~」の盛り上がる部分が無く、
静かに終わっていきます。
(おごそかな気持ちで明日を迎えよう、というイメージです)
さあ、トイレ休憩かな。
続きは、また・・・
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