映画『ストーカー』 名作! でも、よく企画が通ったものだ | 檜木田正史のブログ(ツイッターより)

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ツイッターを2012年6月21日に始めました。
@hinokida_m

仕事のこと、新作のこと、講師をしている専門学校のこと、趣味のミュージカル・講談・マーダーミステリーのことなどのツイートを、ここに格納していきます(多少、加筆修正)

■妖怪テキストを早く切り上げ、タルコフスキー『ストーカー』、ユーロースペース行ってきました。


一昨日ツイートしてたら、どうしても観たくなって。


何度も観てる映画なのに、20数年ぶりに観た今回も衝撃的&すばらしかった!


水のさまざまな表情を幻想的に描いた映像ポエムや、


白い布を結びつけたナットを投げる、意味不明ながらもすっごく記憶に残る名シーンの数々。

その映像美を、今回は寝ずに堪能しました。(寝なかったの初めて???ww)



■『ストーカー』はタルコフスキーが40代後半の作品。


大学生だった私には「難解で哲学的な大人の映画」でしたが、


今、その年齢を越してしまったことに気づき愕然。


あと数年で、没した年齢も越してしまう・・・!!



■大学生だった私は、刺激的な映像ばかりに注目していましたが、


さすがに今は、ちょっと大人になったんで、中身も多少はわかるようになりました。


あっ、「多少」ですが。

黒い犬とか、いまだに理解できず。何なんでしょう?



シナリオの奥深さも再確認。

哲学的な、含みの多いシナリオで、観客にゆだねるところが多い。


エンタメのセオリーからは大きく外れてますが、でも、おもしろい。



たとえば今、このシナリオが日本の映画会社に提出されたとします。


まあ、まず通らないでしょうね。難解すぎると言われて。


そして、「じゃあ、どうすればいいんですか?」と食い下がったら、おそらくこう言われるんでないかということを、想像してみました。



「同行するキャラ数を増やす。できれば女性も」


「ゾーンがいかに危険か、言葉だけなので、


たとえば同行者の一人が、止めるのも聞かずに勝手な行動に出て、ショッキングな死に方をしてしまうのを見せたほうがいい(そこが予告編などでの「売り」になるし)」


「作家と学者が、なにが目的で『部屋』を訪れようとしてるか、早い段階で明示したほうがいい。


『やむにやまれぬ動機』があって、どうしても行きたい、としたほうがいい」


「後半、学者の真の動機が明かされるが、それまで、彼のバックボーンがちっとも描かれてないため、唐突すぎる。

回想とか使って、同行者たちのバックボーンを描くほうがいい」


あ、それから、今のはやりで、「ストーカーを若い女性にすれば?」という意見も言われそう。


そして極めつけの意見は、

「ゾーンが何か、最後でいいので明かしたほうがいい。

それは『えっ、そうだったんだ!?』と衝撃的だと、なおいい(きっと『猿の惑星』)が例えに出る)」


うん、エンタメ得意のプロデューサーに言われそう。


そして、困ったことに、この『ストーカー』シナリオを学生が書いてきたら、おそらく私も言っちゃうでしょうね。


だって、それが「エンタメのセオリー」ですもん(キラリ



ところが実際の『ストーカー』は、そういうエンタメセオリーを外しながらも、それでもおもしろいです。

たとえば「ゾーンがいかに危険か~」にしても、


その状況を見せなくても、ストーカーの緊迫した表情や言い方で、観客には伝わります。

「エンタメセオリー」が、なんぼのものよ!!



いやいや、学生にドラマトゥルギーを教えてる身としては、セオリーを否定するのはNGだけど。

でも、本当にいい映画でした。デジタルリマスターで再確認。




■『ストーカー』話の続きですが、、


エンタメって結局、観客の想像や解釈に委ねる「のりしろ」が少ないんですよね。

「ここは楽しむところ!」「ここは泣くところ!」って、作り手側が設定したとおりに観客に反応して欲しいっていう。


そういう計算はそれはそれで必要だけど、でも、のりしろも。



作り手にしてみたら、自分の意図が観客(視聴者、読者、ユーザー)に伝わらないのは困りもの。

間違って逆に捉えられるなんて、恥ずかしい。

だから委ねるのは怖いです。


ついつい説明過多になってしまい、「のりしろ」が少なくなるという。



タルコフスキー映画のように、見終わった後、「あれはどういう意味かな?」といろいろ考えたり、


あーでもないこーでもないと人と語りあったりできる作品はうらやましいけど、作るには勇気がいります。


観客との信頼関係も必要。




■私の師匠・野村芳太郎監督が、生前よく話してくださった話:


『拝啓天皇陛下様』という映画は、


「右翼からは『天皇陛下をお慕いする気持ちがよくあらわれてる』、


左翼からは『天皇制を批判してる』、


どっちからも『いい映画だ』って言われたんだよ」って、ニコニコしておっしゃってたけど、


それはそれで、どうなんでしょ? 作り手の意図が伝わってないってことでは?



青二才だった私は、そう思ってました。


今でもその答えは掴めてません。