全く個人的な見解であることを断っておく。

落語が好きだった。10歳の頃、病気で入院を余儀なくされた。長い夜、寝苦しい時間を過ごして白々明け方、父親が買ってくれたラジオをあちこちひねって番組が始まるのを心待ちにした。

 昼頃になると、どこかで寄席中継があった。落語、講談、浪曲、漫談、漫才。とにかく笑える番組を探して聴いていた。

 林家三平は理屈抜きに面白かった。そのころ人情噺などはあまり好まなかった。笑いに飢えていたのだ。三遊亭金馬も面白かった。しばらくして、三遊亭歌奴が出て来た。爆笑した。

 年経て、あれこれ聴いたあげく三遊亭円生が好きになった。ひところ円生ばかり聴いていた。一般的には古今亭 志ん生というだろう。私も好きで、志ん生を聞き続けた期間があった。そうするとやがて緻密で計算された円生が聴きたくなるのだ。だが円生ばかり聴いていると疲れてきて、志ん生の、あのサッと一筆書きで描いたような水墨画風の噺が聴きたくなった。この繰り返しは今も続いている。志ん生には、独特の雰囲気があった。高座に出て来ただけでファンは満足したそうだが、判る気がする。

 さて、ここからだが、立川談志の評価である。談志は本当は落語が下手だったと思う。いや。下手というのはちょっと違う。たぶん高座に上がって、演じてみると自らを理想とする高みから見て満足が出来ず、途中で嫌になるのであろう。ただし、話芸は空前絶後であった。先代の円楽とラジオでやっていた立ち話風の話しがよかった。毎回ゲストを呼ぶ。ある夜は俳優の佐藤慶だった。兵庫県知事の阪本勝も出ていた。談志は、相手の話しを切り返すのが巧かった。笑点の構想は彼に由来するらしい。その天翔けるような企画力はやはり並のものではないと思う。テレヴィドラマでその間の事情がドラマ化されていた。事情は不明であるが談志の笑点降板は痛かったに違いない。大喜利で出演者の解答に対する評価が極めて辛く、そして的確だった。以降の司会者の評価の下らなさには呆れる。不思議なことに春風亭翔太はほぼ適切な評価を下しているように思う。彼は情に引っ張られることが無いからだろう。

 古今亭志ん朝だが、これは実に細かい話しかたで、ピリピリしたものが流れていた。早過ぎる死だったとしみじみ思う。老境まで演じておれば(昔なら、それでも相当な御歳にはなっていたが。) 、父親を超えたかもしれない。落語家と言うものは、老いてから光るものなのだ。真価を発揮する期間が本当に短い。バーナード・ショウではないが、人生は短か過ぎるのである。

 柳家小三治は、つい最近亡くなった。上手だと思う。が、あの枕の長さには少々辟易した。上野の鈴本で聴いた時には、延々とオートバイとツーリングの話しだった。本題の噺をもっと聴きたかったと思う。娘は小言幸兵衛を好いていた。恐らく師匠が蹴ったり殴ったりして育てることが出来た最後の名人だろう(柳家小さんが、そんな育て方をしたかどうかは不明であるが。)。

昔日曜の昼に新宿の末広亭で大喜利みたようなことをやっていた。小三治のコメントがあまり面白くなかったかどうかして、仲間に笑われていた。観客もそれに和して笑ったが、別の噺家が憤然としてこの青年は将来を嘱望されているのだ云々と釈明していた。「あなたたちは判らんかもしれないが、見ていてごらんなさい、彼は名人になる」とか何とか言った。当たっていた。