1.公明党が令和7年10月10日に自民党と袂を分かつと宣言した、との報に接した。これについて、私の近くにいる創価学会のある信者が、これで清々したといった。似た様な感想は自民党の支持者もニュースで述べていた。とすれば、元々この連立は無理なものであったのだろう。
2.ところで、この顛末について藤岡信勝氏がfacebookにコメントを掲載した。このコメントは、歴史的名論文のひとつではないかと思われる。
煩を恐れず引用する。
「公明が高市いやだと言ったから10月10日は「連立解消記念日」
よくもまあ、とって付けたような、初めから嘘くさい理由をほざくものだとあきれた。公明党が高市自民党と縁をきるための三行半の切り口上が「政治とカネ」の問題で、支持者が我慢の限界に達したというのである。しかし、ちょっと調べると、そう言っているご本人、つまり斉藤鉄夫公明党代表自身が「政治とカネ」の疑惑の張本人でもあるというのだから、締まらない話である。
しかし、もともと、3年前に岸田が自ら持ち出した「政治とカネ」問題とは、旧安倍派を徹底的に粛清するためにおそらく東京地検特捜部が岸田に与えた秘策で、木原誠二からこの策を聞かされた時の岸田の、体の内側からこみ上げる笑いをかみ殺した表情を忘れることが出来ない。ことがら自体は自民党に不利なテーマなのに、これで(すでに暗殺された)安倍に敵討ちをすることができると思ったに違いないのである。
自民党は安倍政権時代には国政選挙で6連勝していたのに、岸田・石破で2連敗、今年の都議選を含めて三連敗。それを仕掛けたのは実は岸田・石破自身なのである。岸田は自ら、単なる「不記載問題」を朝日新聞が名付けた「裏金問題」に置き換えて選挙の「争点」に据えた。しかも自身の派閥の問題には目をつぶって安倍派(その志を引き継ぐ高市派)議員を国会からたたき出すために、そのテーマを利用し尽くしたのである。
しかし、選挙の時のアンケートで関心のあるテーマとして10項目くらい上げられた選択肢のうち、「裏金問題」は最下位に位置するテーマであった。そんなことより、物価や減税問題のほうが遙かに関心が高い。それでも、野党にとっては、ニンジンを鼻の先にぶら下げられたようなもので、メディアが取りあげれば政権与党の追及材料にせざるを得ない。
その手垢のついた「政治とカネ」問題を離脱の理由としたのだから、下手な芝居のボロがミエミエになった。産経の穏健な社説も「公明の対応に唐突感は否めない。離脱ありきのようにも見える」(11日付け)と書いている。
昨日は午後から、地上波テレビの中継や番組をあれこれ観た。26年続いた自公連立を公明党が離脱するのだから、四半世紀に一度くらいしか起こらない大事件である。当事者の斉藤鉄夫、高市早苗の記者会見を注意深く見た。斉藤はその後の夜の番組にもゲスト出演した。当事者の言葉とその表情から、何が起こったかを正確に感得できる。
高市に公明党を斬るいかなる動機もない。1時間半の会合のなかで、「何度も何度も何度も」(斉藤のことば)「党に持ち帰って検討するから待ってほしい」と言ったそうである。斉藤は、その場で公明党の要求を呑まなければ離脱だと宣告した。斉藤の出した条件とは、企業・団体献金の扱いに関するものである。
自民党には地方議員を中心に7800の支部がある。それらが政党への寄付の受け皿となっている。その受け皿を国会議員と県連などの党機関に限定せよという。それによって、500くらいに減ってしまう。そうすると地方議員個人の人望や影響力で集まる資金源を失なうことになる。これはかえって不透明になるから逆効果だと高市は反論したようだ。いずれにせよ、自民党が絶対に呑めない案をギンギンに考えて出したので、これははじめに離脱ありきの方針だったということだ。
この離脱の方針を決断したのは誰なのか。根は人のよさそうな斉藤代表が一人で考えた筈がない。4日(土)に高市が総裁に選ばれてから2日後の6日(月)、斉藤は呉江浩駐日大使と面会していた。呉は国会に出向き、斉藤に指示したと思われる。
呉大使といえば、日本人として忘れがたい発言がある。昨年の5月20日、呉は台湾の頼清徳総統の就任式に合わせて東京都内の在日中国大使館で開いた座談会で次のように発言した。
「私は着任して以来、あらゆる場で以下のことを強調しております。日本という国が中国分裂を企てる戦車に縛られてしまえば、日本の民衆が火の中に連れ込まれることになるでしょう。耳障りな言葉ではありますが、あらかじめ言っておく必要があると思いました。特に日本が過去に台湾を占領し植民地支配をした歴史的経緯があって、なおさら深く反省し、言動を慎むべきではないでしょうか」。
これは本来、外交上「ペルソナ・ノングラータ」として国外追放にあたいする言動であるのに、当時の岸田内閣の上川外相は「不適切な発言である」とコメントしただけだった。
この度の公明党の自公政権離脱は、高市政権を潰すための中国共産党の指示であったと思う。このように、政治の舞台裏が見える化(可視化)されるようになったのはよいことである。日本国民は何が起こったか判断できる。当然ながら、中国共産党の工作は公明党だけに留まっているはずがない。
自民党の森山幹事長は、総裁選挙で高市に投票しないと考えているらしい。党首に投票しない党員は即刻除名である。国会が召集される10月21日まで、政界は大揺れとなるだろう。私は、紆余曲折の末決選投票で結局高市が総理大臣になると思う。しかし、どのような結果になろうと、10月4日を起点とする政治プロセスは、日本を独立させる方向に作用するだろう。
だから、公明離脱で、私は四半世紀にわたり自民党にとりついた憑きものを振り払ったようなすがすがしさを感じている。赤飯を炊いてお祝いをしたいような気分である。その気分にぴったりなXの絵を知人が紹介してくれたので、アップしておきたい。かくて、この図柄のように、10月10日は「サラダ記念日」ならぬ「連立解消記念日」と称されるべきである。それは、日本独立への大きな一歩である。」
3.私は、これに加えて斎藤・高市会見のシーンから、斎藤氏の女性に対する蔑視の臭いを仄かに感ずるのだが、これは気のせいだろうか。小林鷹之氏が総裁となった場合でも、公明は同じ挙に出ることが出来たろうか。意見の相違があったにせよ、腹をさすってここまで我慢が出来たのだ。それは大同小異ということであろう。総裁選を境に、この度連立解消の挙に出たことは、如何なる存念があったことによるのか。恐らく私は石井啓一氏であれば、このような軽率な判断をしなかったのではないか、と思う。
そもそも、公明の落ち込みは、同党が立憲民主に近いような考えを引き摺っていることによるものと考えている。学会信者の若者が、公明に票を投ずることをせず、ある者は立民に入れ、ある者は密かに自民党に入れることで、いわば引き裂かれた状況に陥っているからに他ならない。自民党から離れたことで、この又裂き状態は解消しない。若い信者の公明離れはむしろ加速するのではないかと思う。公明党は、自らの存立基盤を構築しなければならない。つい先日、斎藤氏は混迷する自民党を指し、あざ笑ってそう言っていたが、同じことが同党にも今後起こり得るのである。人を呪わば穴二つである。
4.それより、私は1999年10月自民党との連立が池田大作氏の指示によるものとの確信を持っている。いったい、池田氏は蓮如上人あるいは顕如上人に比肩する人物であると思っている。その池田氏の指示を公明党は弊履のように捨て去った。私は学会の信者でもなんでもないが、池田氏が2023年11月に死去して、早くも後継者は池田氏を裏切ろうとしている。このような忘恩の挙に仏罰が当たらないですむのだろうか。近々、総理大臣の選挙がある。学会の信者も含めた国民は、公明党の動向を見ている。立民と言う根底において共産主義にふしだらにも繋がった党に阿るようなことがあれば、公明党は今度こそはっきりと国民から、否むしろ学会信者から見放されるだろう。