再び「スイング面」無用論
実は、以前に紹介したジム・ハーディーの一平面型、二平面型の話には誤解がありました(「スイング面談義:One plane or two plane ?」(07-05-27))。強力なダウンの動きの話に入る前にこの誤解を正します。
ハーディーの説明によれば、スイングの動きで腕が上がり、肩の回転面に入るのが一平面型、肩の回転面とは異なる平面に入るのが二平面型です。肩の動きの平面と腕の動きの平面の二つがあるという見方で、両者が一致すれば一平面型、異なれば二平面型ということのようです。一平面型のダウンでは、クラブが肩の回転面から直接ボールに向けて下りることになります。
一方、ホーガンの説明では、ダウンの初期の体の動きで、バックスイング面より低い位置にある傾斜の緩やかなダウンスイング面に乗るとされています。ダウンスイング面への移行には、急激なグリップの引き下ろしが必要で、この間の腕の動きは肩の回転面より急な引き下ろしの面に乗る筈です。
二平面型についてハーディーは、ダウンのモーターは腕で、ダウンでは腕を伸ばしてヘッドを殆ど真っ直ぐ下ろし、この動きと合わせて腰の左移動と水平な左回転を実行すると書いています。このダウンの腕の動きの説明は、ホーガンのダウンスイング面への移行の動きに酷似しています。そこでホーガンのスイングは二平面型と理解したのです。
これが誤解でした、ハーディーはホーガンのスイングを一平面型に分類していたのです。ここまでの話でもわかるように、感覚的なスイング面の定義ではスイングの動きの内容は分かりません。かえって混乱するばかりです。
ハーディーの言うように、腕をダウンのモーターと捉えると、踵で地面を下向きに押すという、決定的なパワ-源の存在が見えて来ません。ハーディーは、それぞれの型について体の各部の動きを詳しく書いていますが、その中に足の「螺旋」の話はありません。当然「回転」の話もありません。
ところが、構造的に見れば、ゴルファーと地球を繋ぐ足の動きが「螺旋」であるか「回転」であるかによって、それぞれの脚のスイング動作は二分されます。これだけでも原理的には四種類の動きの可能性があるわけです。スイング面という言葉で一平面型、二平面型に分類しても、既に経験したような誤解は避けられません。
スイング面についての疑念は既に書いてありますが(「スイング面の議論は無駄?」(06-12-28))、ゴルファーのイメージに混乱を増す危険の大きさを考えれば、動きの構造的な説明のないスイング面という言葉は使わないという、「スイング面」無用論を再度提唱したくなります。
ハーディーの説明によれば、スイングの動きで腕が上がり、肩の回転面に入るのが一平面型、肩の回転面とは異なる平面に入るのが二平面型です。肩の動きの平面と腕の動きの平面の二つがあるという見方で、両者が一致すれば一平面型、異なれば二平面型ということのようです。一平面型のダウンでは、クラブが肩の回転面から直接ボールに向けて下りることになります。
一方、ホーガンの説明では、ダウンの初期の体の動きで、バックスイング面より低い位置にある傾斜の緩やかなダウンスイング面に乗るとされています。ダウンスイング面への移行には、急激なグリップの引き下ろしが必要で、この間の腕の動きは肩の回転面より急な引き下ろしの面に乗る筈です。
二平面型についてハーディーは、ダウンのモーターは腕で、ダウンでは腕を伸ばしてヘッドを殆ど真っ直ぐ下ろし、この動きと合わせて腰の左移動と水平な左回転を実行すると書いています。このダウンの腕の動きの説明は、ホーガンのダウンスイング面への移行の動きに酷似しています。そこでホーガンのスイングは二平面型と理解したのです。
これが誤解でした、ハーディーはホーガンのスイングを一平面型に分類していたのです。ここまでの話でもわかるように、感覚的なスイング面の定義ではスイングの動きの内容は分かりません。かえって混乱するばかりです。
ハーディーの言うように、腕をダウンのモーターと捉えると、踵で地面を下向きに押すという、決定的なパワ-源の存在が見えて来ません。ハーディーは、それぞれの型について体の各部の動きを詳しく書いていますが、その中に足の「螺旋」の話はありません。当然「回転」の話もありません。
ところが、構造的に見れば、ゴルファーと地球を繋ぐ足の動きが「螺旋」であるか「回転」であるかによって、それぞれの脚のスイング動作は二分されます。これだけでも原理的には四種類の動きの可能性があるわけです。スイング面という言葉で一平面型、二平面型に分類しても、既に経験したような誤解は避けられません。
スイング面についての疑念は既に書いてありますが(「スイング面の議論は無駄?」(06-12-28))、ゴルファーのイメージに混乱を増す危険の大きさを考えれば、動きの構造的な説明のないスイング面という言葉は使わないという、「スイング面」無用論を再度提唱したくなります。