http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=281826&g=132107
かつて、1945年から1950年の日本では、石炭の会社が一流大学の学生の人気の就職先だった。石炭は日本のエネルギーを支える非常に重要なものであると思われていたからだ。
しかし、一流大学の学生が殺到していたその頃が石炭企業のピークで、あとは凋落の一歩を辿った。
同じ頃、衣料品に不足していた日本では、繊維業界も空前の売上を誇り、多くの一流大学の学生が繊維業界に殺到した。繊維業界は未来永劫に成長すると思われた就職先だったのだ。
しかし、一流大学の学生が殺到していたその頃が繊維企業のピークで、あとは凋落の一歩を辿った。
映画産業も、人々の羨望の的であり、一流大学の学生が殺到していたが、やがてテレビの時代が来ると、映画産業は一気に衰退して斜陽産業となった。
化学肥料の企業も、当時は最重要な分野だと言われて一流大学の学生が殺到していたが、やがて衰退して凋落していく。
■公務員や官僚には「死亡フラグ」が立っている
バブルの頃は、誰もが不動産産業に入りたがって、まったく関係ない人間も宅建法のような資格を取りに走ったほどだった。
ここでも、一流大学の学生が不動産会社に殺到していたが、バブル崩壊に見舞われると、不動産会社は一気に凋落していった。
この頃は金融機関に就職するのも流行っていたが、バブル崩壊で銀行や証券会社がどうなったのか。不良債権を抱えて身動きできなくなったのが、金融機関ではなかったか。
ちなみに、現在は日本企業がグローバル化に乗り遅れて苦境に落ちる時代だ。
その現状を見て、一流大学の学生は「公務員」を目指しているということを聞く。霞ヶ関で官僚になるのが目標になっているのだという。
公務員や官僚になれば安泰だという発想なのだろう。
そう考えると、公務員や官僚にはかなり強い「死亡フラグ」が立っているも同然だ。
それほど遠くない将来、公務員という立場は衰退し、崩壊し、見るも無惨な立場になっていくということが予測できる。
:::中略:::
◆本当は、集まった人材は優秀ではなかった?
ここで気が付かなければならないのは、2点ある。
1点は、一流大学の学生が殺到する産業は、そのときがピークで近いうちに凋落するというのがひとつだ。
一流企業の学生は、その時代で最も輝いている企業から熱烈歓迎されるので、大勢がそこに向かうのだが、それは単なる人気投票で「今は」ナンバーワンであるというだけなのだ。
「今は」そうであっても、「将来も」そうであるとは限らない。むしろ、頂点を極めたら、あとは落ちるだけしかないというのは小学生でも思いつく社会現象だ。それを、なぜか「優秀」な学生が思いつかない。
:::中略:::
もう1点は、その業界に一流の頭脳が集まっていても、凋落を止めることができないというのがひとつだ。
これを指して、このような指摘をする人もいる。
「一流大学の優秀な人材が集まった業界は衰退するというが、それほど優秀な人材がいたのであれば、なぜ会社を躍進できなかったのか?」
「本当に優秀なら先を読んで手を打てたのに、それができないとすると、実のところ集まった人材は優秀ではなかったのではないのか?」
◆「体制が望む方向」に勤勉だったということ
昔から現在まで、日本で「優秀な人材」というと、紛れもなく「有名大学を良い成績で卒業した人」という意味だ。学歴社会のコアになっている考え方がここにある。
一流大学の成績優秀者であればあるほど「良い人材」なのである。これらの学生は、必死に勉強し、熱心に暗記し、勤勉であるのは間違いない。
重要なのは、「体制が望む方向」に勤勉だったということだ。体制が作り上げた価値感に従順だったという言い方もできる。
与えられた課題を一生懸命にこなすという意味で優秀だったのだ。「なぜ、こんなものを覚える必要があるのか?」「なぜ、課題を与えられてこなす必要があるのか?」とは考えない。
不良学生は、逆にこう考える。「なぜ、学校は俺に命令する権利があるのか?」「なぜ、興味のないことを覚える必要があるのか?」
不良学生が不良であるのは、体制に従順ではないという意味で不良であり、優秀な学生が優秀であるのは、体制に従順であるという意味で優秀なのだ。
そう考えると、日本人の優秀な人材とは、必然的に体制に従順であることが分かる。そして、体制を疑わない人間ばかりがトップに集まるということになる。
体制を疑わないということは、体制のあり方に疑問を持って、それを変えて行こうとはしないということでもある。
そういう人間をわざわざ選んだのだから、体制のあり方に疑問を持てという方が間違っている。
世の中が変わっても、体制に従順なので、世の中に合わせようとする発想がない。それが変化できない大きな理由になる。
日本のあちこちが「先延ばし」「事なかれ」「優柔不断」になっているのは、要するに体制に従順な人間がトップにいるということであり、いよいよその弊害が現れているということでもある。
:::中略:::
日本が生き残るためには、そろそろ優秀な人材の定義を変えなければならない時代になっているのである。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=243423&g=131208
食肉加工センターの坂本さんの職場では毎日たくさんの牛が殺され、その肉が市場に卸されている。牛を殺すとき、牛と目が合う。そのたびに坂本さんは、「いつかこの仕事をやめよう」と思っていた。
ある日の夕方、牛を乗せた軽トラックがセンターにやってきた。しかし、いつまで経っても荷台から牛が降りてこない。坂本さんは不思議に思って覗いてみると、10歳くらいの女の子が、牛のお腹をさすりながら何か話し掛けている。その声が聞こえてきた。
「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ……」
坂本さんは思った、「見なきゃよかった」
女の子のおじいちゃんが坂本さんに頭を下げた。
「みいちゃんはこの子と一緒に育てました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、お正月が来んとです。明日はよろしくお願いします…」
「もうできん。もうこの仕事はやめよう」と思った坂本さん、明日の仕事を休むことにした。
家に帰ってから、そのことを小学生の息子のしのぶ君に話した。しのぶ君はじっと聞いていた。
一緒にお風呂に入ったとき、しのぶ君は父親に言った。「やっぱりお父さんがしてやってよ。心の無か人がしたら牛が苦しむけん」
しかし坂本さんは休むと決めていた。
翌日、学校に行く前に、しのぶ君はもう一度言った。
「お父さん、今日は行かなんよ!(行かないといけないよ)」
坂本さんの心が揺れた。そしてしぶしぶ仕事場へと車を走らせた。 牛舎に入った。坂本さんを見ると、他の牛と同じようにみいちゃんも角を下げて威嚇するポーズをとった。
「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんとみんなが困るけん。ごめんよう」
と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきた。殺すとき、動いて急所をはずすと牛は苦しむ。 坂本さんが、
「じっとしとけよ、じっとしとけよ」
と言うと、みいちゃんは動かなくなった。 次の瞬間、みいちゃんの目から大きな涙がこぼれ落ちた。 牛の涙を坂本さんは初めて見た。
わたしは、ワニの肉かカエルの肉だと思ってました。
食用ガエルは食感が鶏肉に近いそうです。
それよりも さらに悪いよね。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2013100502000231.html
【ニューヨーク=長田弘己】米国の大手ファストフードチェーンが販売する、鶏ひき肉に小麦粉などをまぶして揚げた食品、チキンナゲットの中身半分が鶏肉ではないと、米国のミシシッピ大の教授らが発表した。
米国では、学校給食やレストランの子ども用メニューとしても提供されるほど人気の食品だけに、注目を集めている。
調査チームは、米国の大手ファストフードチェーン二店舗で販売されていたチキンナゲットを顕微鏡で調査。
一つ目は、半分が鶏肉だったが、半分は鳥の脂肪や血管、臓器などが使われていた。二つ目は、40%が鶏肉で、残りは鳥骨や軟骨で占められていた。
教授らは、個別の店舗名は発表しない方針。調査結果をまとめた論文は、米医学雑誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・メディシン」に掲載された。
結論として、「チキンナゲットはほとんどが脂肪で、名前は誤解を与える」と指摘している。