大広間。
分家、叔父の屋敷。
畳12帖を2間ぶちぬいた空間。
一族の男たちが全員集まっていた。
床の間を背にしてボクは座っている。・・・・「床の間」とはいえ、すぐにイメージされる一畳大といったものじゃない。
小さな舞台ほどの床の間だった。
隣には叔父が座っている。
イメージとしては、
「大政奉還」の図。
あの教科書に載っている、
あの絵のイメージだった・笑。
床の間を背に、シュッと座っているボク。・・・・隣に、分家の叔父。
その前に、恐れ多くひれ伏す一族の者たち・・・・
・・・・・なんといっても、
ボクは、
「本家のボン」だ。
没落して、
今や、影も形もなく、
権威も何もない。
しかし、
田舎の事だ。
「世が世なら・・・・」
その空気は、色濃く残っている。
「立派になられたぁ・・・・・」
今の大河。
人質だった、わが殿様が、
徳川家康が三河に戻ってきた。
人質時代から、初めて、家康が、領地、三河に戻った時の場面。
あんな雰囲気だった。
・・・・・直前に、「テレビの全国放送」がされていたのも大きかった。
世は「ベンチャーブーム」
先輩は、「時代の寵児」だった。
新聞、雑誌・・・・テレビ・・・・引っ張りだこだった。
日本のテレビってのは、
「右に倣え」だ。
いっこのテレビ局が、
「何か」ネタを追いかければ、
追従して追いかけるようになる。
それは「人間」でも同じ。
先輩が、いっこのテレビ番組に出て・・・・若者層の支持をえるようになると、
他のテレビ局も、一気に「右に倣え」となった。
それが行われるようになれば、
今度は、
「次世代」ってことになる・・・・・ジャニーズと同じ構造だ。
で、
次世代の「起業家」
そんな若手経営者がフォーカスされるようになる。
そんな「NEXTジェネレーション」の中に、ボクも取りざたされていった。
アイドルとの密着番組が放映されていた。
全国放送。
ここ地元でも放映されていた。
ウチのオカンは、それを観て泣いたらしい・笑。
親戚のおばちゃんとかもな・笑。
・・・・・の、直後の凱旋となった。
田舎。
東京の、
テレビの威光ってのは大きなインパクトがある。
・・・・・さらに、
ボクがここに来たのは、
「実利」を持って、だ。
この地に、ウチの営業所を築く。・・・・・親会社は、来年上場することが決まっている。
一族の者たち。
皆、
自分の家は何ができるかを考えていた。
太平洋戦争、敗戦以降。
皆が潤った高度成長時代以降、
これほどインパクトのある出来事はない。
大きな「甘い蜜」が目の前にある。大きな利権が目の前にぶら下がっている・・・持ってきたのは「本家のボン」
・・・・これこそが、地元名士「一族」の証。
その恩恵にあやかろうと、
男たちは、
顔中を涎まみれにしてボクを見ているんだった。
とりあえず、営業所立ち上げ。
不動産会社。
営業車の手配・・・・車ディーラー。
求人広告・・・・宣伝広告会社。
・・・・そして、
ウチの下で、実際の施工を担当してくれる会社。
土木はもとより、
大工、鉄筋・・・・電気・・・・各種工事会社。
まとめて請け負える建築会社。
・・・・・・それら全て、
要望する会社、
その全てが「一族」の中にあった。
大広間。
一族を上げての決起集会の場となった。
人生で、
「血沸き肉躍る」
そんなシーンにお目にかかることは、
そうはない。
ボクにとっての、数少ない経験が、この時だった。
没落した本家のボン。
夜逃げ・・・・虐めにあい続けた子供時代・・・・
人生の「雌伏」の時代は終わった。
・・・・ここから、頭をもたげて飛躍する。
ボクの人生は、
ここから始まる。
体中の血液が沸騰しているようだった。
高揚感に包まれる。
床の間を背にして見渡す一族の男たち。
顔、顔、顔・・・・
隣に、
分家、叔父。
・・・ここは・・・
もともとは「本家」と呼ばれた建物だ。
ボクが幼い日に育った建物だ。
「本家」
ウチは凋落していった。
太平洋戦争、敗戦。
GHQが乗り込んできての「農地解放」
それによって、
全ての農地を供出させられた。
没落。
そこからの「起死回生」を狙った親父の商売。
見事な失敗。
ウチの息の根が止まった。
財産は全て借金のカタとしてもっていかれた。
この「本家」
屋敷は、分家・・・・・叔父が持っていった。
戦後、
没落していく本家を尻目に、
分家、叔父は、飛ぶ鳥を落とす勢いに発展していった。
家業の大規模化。・・・・分家2家の合併。
組織化。
工場化。
小さな「家業」だったものが、
それぞれ伸び、
地方都市での、
地元コングロマリットとして発展していった。
本家の没落。
・・・・しかし、
影となって支えていたのは分家、叔父だった。
・・・・結果として、
本家の家屋敷は、全て分家のものとなってしまったが、
叔父は、
それを遥かに超えた資金提供をしていた。
本家が事実上瓦解した後。
叔父は、
ウチの祖父さんを工場で厚遇で雇っていた。
・・・・そして、父を・・・
あの「酒乱」でどうしようもなかった親父・・・・
親父は、
事業を潰した後、
ただ「趣味」に生きた。
地元での、由緒正しい、
ウチは「庄屋」と呼ばれた、
地元で由緒正しい家系だ。
農耕技術は当然として、
「伝統芸能」をパトロンとして、保護、保全をしてきたのもウチだった。
地元名士の役割とは、そういうことだ。
だからかどうか、
親父の「芸事」は、
素人裸足、
下手なお師匠さんなんぞより、よっぽど見事なものだったらしい。
・・・・しかし、
そんなものでは「飯は食えない」
それを「食える」ようにしたのが、分家、叔父だった。
それなりの恰好のついた協会を造り、
親父を理事長に据えた。
・・・・そして、教育関係と話をつけ、
「地元伝統芸能の継承」
そういう役割を親父に与えた。
親父は、
子供たちに伝統芸能を継承していく。・・・・それを生業として糊口をしのいだ・・・・そして死んでいった。
「没落した本家」
その全ての面倒をみたのが、分家、叔父だった。
隣に座る叔父。
言われた。
分家は分家。
所詮は分家よ。
分家とは、本家があったればこその分家よ。
「本家の隆盛」
それなくして分家の存在はありはせん。
お前が本家の再興を果たせ。