隅にあるファンヒーターが轟音を立てている。
温風を吐き出している。
冬。
一番寒い時期だ。
読経が流れている。
焼香が進んでいく。
学生服。
胡坐をかいて座っていた。・・・隣に弟が座っている。その隣はオカンだ。
しばらくして叔父は亡くなった。
従兄の受験が終わるのを見届けるように、叔父は亡くなった。・・・・「見届けるように」じゃないだろう。
「見届けた」んだと思う。
受験前、受験最中に叔父が亡くなれば・・・いくら覚悟をしていたとはいえ、従兄は平静ではいられなかっただろう。
だから、叔父は、従兄の受験が終わるまではと、最後の気力を振り絞って生き続けたんだと思う。
・・・・受験が終わった翌々日。
従兄から「終わった」と報告を受けた翌々日。
叔父は息を引き取った。
凄い人だな・・・そう思った。
そして、人間って生き物の凄さを感じた。
・・・・人間って、本当に凄い生き物だよな・・・・
順番がまわってきた。
オカン、弟、そしてボクは祭壇の前に進んだ。
三人並んで焼香をする。
叔父の眠る柩があって・・・・祭壇がある。
叔父の写真。
小さな写真を引き伸ばしたものだ。
ピントが甘くなっていたりする・・・無理やりに「死に装束」を合成した部分が変だ。
・・・・それでも、いい笑顔だ。
少し前の写真。
従姉・・・・姉ちゃんの結婚式のスナップからとったものだ。
姉ちゃん、従兄、そしてお叔母さんで決めたらしい。
「人生で一番良い笑顔」の写真。
祭壇には花が並べられている。・・・・従兄一同の花もある。・・・・その中に、一際大きな花がある。・・・・・姉ちゃんの義理実家からだった。
親族席。姉ちゃんが幼子を抱いて座っている。・・・その隣に座っている旦那さん。・・・その実家から送られてきた花輪だった。
姉ちゃんの旦那さんは、公開企業・・・大企業の、社長の御曹司だった。
映画のようなシンデレラストーリーだ。
姉ちゃんは、高校を卒業して大手アパレルメーカーの工場に勤め出した。
工場は日本全国にいくつもある・・・・その「工場」全ての統括責任者だったのが、社長の息子さんだった。
・・・・そこから見染められて交際が始まっていった・・・・そして結婚へと進んだ。
今では、大阪で有数の「億ション」に住む若奥様だ。
出柩だ。
「カズも来いや」
叔父たちから声をかけられる。
男たちが柩を担いで霊柩車まで運ぶ。・・・・運ぶのは、親戚の男達。その中でも「若い者順」ってことらしい。
葬儀が行われているのは「叔父の家」だ。
その一階、小さな庭に面した居間で執り行われていた。
庭に面した4枚サッシが取り外され、そこからみんなが出入りするようにしてあった。
近所から・・・あるいは仕事上の付き合いのある人か・・・弔問客がやってきては焼香していった。
そこから出柩を行う。
二列に分かれ、
一方の一番前がボク。後ろに何人もの親族が並んで柩を担ぐ。
吐く息が白い。
風はない。
穏やかな冬晴れ。
「・・・せめて・・・自分の家から葬式が出せた・・・幸せなことやわ・・・・」
叔母たちが話していた。
叔父一家は長く「借家」暮らしだった。
ボクが居候させてもらった時は借家だった・・・・広めの「長屋」って感じの建物だったな。
「家を買う」
男子一生の仕事であって、
男子一生の夢だった。
姉ちゃんの結婚は・・・・終わってみればシンデレラストーリーだった。
しかし、
最中は、
「身分違いの交際」だ。
「結婚」
相手側の家からの反対にあう。
・・・・それはそうだろう。
公開企業の社長の御曹司だ。・・・・次期社長になる人物だ。
その嫁となる人間が、・・・・その会社の「女工」・・・・高卒の女工であっていいはずがない。
公開企業ともなれば、
結婚は・・・・学歴の問題だけじゃなく・・・・「政略結婚」・・・縁戚を広めるためのものでもあるはずだ。
次期当主の嫁が、一介の「女工」であっては許されない。・・・・さらには、姉ちゃんは高卒でしかない。
それでも、御曹司は押し切っていく。
姉ちゃんは・・・
優しい・・・叔父譲りで、優しい・・・とても良い人だもんな・・・・
旦那さんは・・・・どうしても結婚したかったんだろう。
ボクが「夜逃げ」・・・居候させてもらってた時の、
毎日、毎朝、小学生だったボクを、バス停まで送ってくれた姉ちゃんを忘れない。
雨の日には、姉ちゃんに傘を差してもらって歩いた。
歩きながら、
姉ちゃんは楽しい話しかしない。
ボクが学校に行くのが嫌そうだったからだろう。・・・当時、ボクは虐められてたからな・・・・ただでさえ学校に行くのが嫌だった。
そこへきてのバスに乗っての通学だ。
朝だ。
サラリーマンのラッシュの中、背の小さい小学生がバスに乗っていくのは苦痛でしかなかった。
姉ちゃんは、
いつも「吉本」ばりに、高速関西弁、マシンガントークを繰り広げて笑わせてくれた。
「夜逃げ」
大人たちは・・・オカンたちは、今後のことで右往左往していた。ドタバタとしていた。・・・・ボクや、弟は放っておかれた。・・・・その、ボクや弟の面倒をみてくれたのは姉ちゃんだった。
御曹司の説得に両親・・・親戚たちも折れた。
結婚が認められた。
・・・・ただし、
いくつかの条件が付けられてだ。
・・・・その「条件」のひとつが、この「家」だった。
公開企業の御曹司が、「借家住まい」の娘を嫁にすることはできない。
結婚式。
それは、花嫁が実家を出るところから始まるセレモニーだ。
その実家が「借家」であるなど論外だ。
・・・・そのために、叔父はこの家を買ったんだった。
大阪。
大都会。
大阪ど真ん中ではないけれど、ここは閑静な住宅街だ。
土地の値段は高い。
とても新築など買える場所じゃない。
何件も何件も見て回り、やっと手に入れたのが、この小さな中古住宅だった。
小さな・・・・こじんまりとした・・・・それでも縁側があって、小さな庭があった。・・・叔母が、そこで鉢植えの手入れをしている。・・・・季節ごとに小さな花が咲いた。
結婚式。
公開企業の社長の御曹司の結婚式。
世間に対しての「お披露目」でもある。
盛大なものだった。
国会議員・・・府会議員・・・市会議員・・・
ビジネスはヨーロッパでも展開している。外国人の姿もあった。
ボクも呼ばれていた。
人数合わせだった。
新郎側の来賓は膨大な数にのぼる・・・・呼ぶ人間を決めるのにも苦慮する・・・どこまでを呼ぶのか・・・・あちらをたてればこちらが立たず・・・・そのため招待客は膨大な数になっていく・・・・
新婦側でも、それに合わせた人数を用意しなければ恰好がつかない。
親族・・・一族郎党をかき集めての人数を確保した。
式は華々しく進んでいく。
・・・・ボクは・・・・どこか肩身が狭かった。
ボクたち・・・新婦側の列席者は、どこか疎外感があった。
全ては新郎側で進んでいく感があった。
テレビで見たことのあるアナウンサーが司会を務めていた。
式では新郎新婦の紹介が行われる。
新婦・・・・姉ちゃんは「短大卒」になっていた。・・・・もちろん「女工」であったことは消されている。
なんだか、大手の名前のついた会社のOLになっていた。
・・・・そして、両親の紹介。
叔父は「専門学校卒」となっていた。・・・・叔父は「小学校卒」でしかない。
公開企業の花嫁。
それが「高卒」の「女工」であってはならない。
花嫁の父が「小学校卒」であってはならない。
花嫁の実家が借家であってはならない。
新郎側から突きつけられる無理難題。
・・・・それでも、叔父は笑顔で全てを受け入れていった。
首を垂れ・・・礼を尽くし・・・感謝をもって受け入れた。
・・・・愛する娘の幸せのためだった。
愛する娘のためであれば・・・何を言われても我慢ができる・・・・何をされても耐えられる。
無理難題は、
娘を幸せへと導く一里塚だった。
式が終わって、列席者が退場していく。
新郎新婦・・・そして其々の両親が並んで見送る。
ボクが叔父の前を通りがかる。
「ありがとうな・・・・ありがとうな・・・ありがとうな・・・・カズ・・・ありがとうな・・・・」
ひとりひとりに深々と頭を下げる叔父の姿が忘れられない。
列席した・・・ボクたち・・・ボクたち「親戚」「縁者」に対して・・・・
どれだけの「労い」の思いがあったんだろう。
ボクは、叔父の心中を思って泣けてきてしまった。・・・・もちろんボクだけじゃない。
列席した一同が・・・ボクたち側の人間全てが叔父の姿に涙した。
喪主である従兄が柩の後ろを進む。
胸に笑顔の叔父が抱かれている。
・・・・娘の結婚式・・・人生で一番幸せな笑顔で抱かれている。
叔父は小学校しか出ていない。
それは時代のせいだ。
日本に戦争があった時代がある。
その時代に翻弄され、叔父は小学校しか行けなかった。
・・・・後年。
高度成長が始まり、日本は奇跡の経済成長を果たしていく・・・
その陣頭指揮をとったのは、若きエリートたちだった。
「旧帝大卒」
・・・さらには「大学卒」たちが、牽引車となった。
学歴のないものは、一生「兵隊」として終わっていく・・・・その悲哀を叔父は身をもって味わっていったんだろう。
救急車で運ばれたベッドの上。
従兄に、何がっても大学受験には行けと・・・・そして京都大学に・・・「旧帝大」に行けと遺言した叔父。
・・・・そして、受験が終わるまで自ら生き続けた・・・人生を終わらせなかった叔父。
叔父を胸に従兄が歩く。
その後ろに、幼子を抱いた姉ちゃん。・・・そして隣に優しそうな旦那さん。
姉ちゃんは幸せそうだ。
ほんとうに良かったよな・・・・
姉ちゃんは幸せになるべき人だ。
幸せにならなきゃならない人だ。
学歴のない悲哀を味わった叔父。
我が子たちを、大学に進学させることが悲願となった。
幸いに、姉ちゃんも、従兄も成績が良かった。
・・・・しかし、2人の子供を大学に行かせる余裕はない。
姉ちゃんは弟に道を譲った。・・・高卒で世の中に出た。
以来、
一家の悲願は、従兄の京都大入学になった。
さらに、
従兄の学費を稼ぐために、叔父は転職したんだった。
・・・・しかし、その激務が寿命を削ってしまったのか・・・・
姉ちゃんの後ろ。叔母が歩く・・・・
・・・・一番後ろを叔母が歩く・・・・いや歩けない。
叔母は、両側から親戚たちに支えられて歩いていた。・・・ようやく歩いている・・・・ようやく立っている・・・・今にも崩れ落ちそうだ。
叔母は泣いていた。
泣き続けていた。
号泣し続けていた。
身体中の全ての水分が流れ出てしまうんじゃないか・・・・これほどまでに人間とは涙を流せるものなのか・・・
これほど、人間とは泣き続けられるものなのか・・・・
「泣く」・・・・そんな生易しいものじゃなかった。
「泣き崩れる」
その言葉そのままだった。
飲まず・・・食わず・・・・ひたすら号泣し続けていた。悲嘆にくれ続けていた。
ボクは、
これほどまでに泣かれる人物・・・妻に泣かれる夫がいるんだろうかと思った。
夫婦・・・元は赤の他人だ。
親兄弟とは違う。血の繋がりは無い。
しかし、
叔母の姿は慟哭そのものだった。・・・我が身を削られたとて、これほどの号泣はしないんじゃないか・・・
叔母の中では、もう、世界が終わってしまったんだろう。
夫婦の「愛する」とは、これほどまでに頑強なものなのか・・・
叔母は・・・今にも消え入ってしまいそうだった・・・・
叔母がこのまま死んでしまうんじゃないかと思った。
「後を追う」・・・そんなことじゃなく、
このまま悲しみに飲み込まれ、命が尽き果ててしまうのではないか・・・それほどに叔母の悲しみは深かった。
信頼しあった・・・頼り切った支えを失った人間が、どれほどの悲嘆にくれるのかを初めて見た。
・・・それでも・・・・
お互い、
そこまでに「愛した」連れ添いに出会えたことは幸せだったんだろうな・・・・
・・・・このあと、ゆっくりと・・・時間をかけて傷を癒してくれればいい・・・
叔父が残した、この家で・・・
叔父の住宅ローンは、まだ随分と残っている。・・・・まだ、元金は全く減っていないという段階だろう。
けれど、
住宅ローンには生命保険が付随していた。
叔父は死して、住宅ローンを完済した。
叔母に、終の住み家を残した。
微かな雪が舞ってきた。
大阪だ。
積もることはない。
ヒラヒラと・・・花のように雪が舞い落ちる。
・・・・叔父の家に居候していた時だ。
日曜日。
従兄たちは、それぞれの友達と遊びに行ってしまった。
オカンと叔母は、弟を連れて出かけている。
部屋には、ボクひとりが取り残された。
・・・友達と遊ぼうにも、ここからはバスに乗って行かなきゃならない・・・そもそも、学校では虐められていた・・・遊び相手はいなかった。
ボクたち母子に当てがわれたのは三畳ほどの離れ・・・物置部屋か。
そこで少年ジャンプを読んでいた。
日曜日だ。
休みの叔父が顔を出す。
連れ出されて散歩に出た。
二人で駅の方へ歩いて行く・・・土手を歩き・・・商店街へ・・・
模型屋に入って行く。
叔父が模型屋のオヤジさんと話し出す。・・・知り合いらしい。
ボクは大好きだった戦車のプラモデルを見てまわる・・・・
プラモデル。
久しぶりだ。
「夜逃げ」
プラモデルは全部家に置いてきてしまった・・・
いつも行っていた模型屋さんは、ここからは遠い・・・行くことができない。
学校から帰ってきたボクは、
叔父の家では・・・
何度も読んだ少年ジャンプを見て時間を潰すしかなかった・・・
久しぶりのプラモデル。
あれも、これもと目を輝かせて見てまわった。
どれくらい時間が経っただろう・・・
全部の戦車を見たんじゃないか・・・・
「ほな、行こか」
叔父が言った。
叔父は、ボクが見終わるのを待っていてくれたんだろう・・・
「ワシはこれにするわ・・・」
叔父が手にとっているのは姫路城の模型だ。
「カズは、どれがええねん?」
ボクは・・・・
前から欲しかった大きな戦車模型・・・おずおずと両手で差し出した・・・
ボクは一番前で柩を担ぐ。
肩に大好きだった叔父が眠っている。
肩にズッシリと叔父の重みを味わった。
娘を公開企業の御曹司に嫁がせ、
息子を大学まで行かせ、
妻に終の住み家を残した。
自分の役割を見事に果たしてのけた。
叔父という男の、
なんと凄い人生だろうか。
世間に名前が残るではない。
偉人でもなんでもない。
単なる「市井の人」でしかない。
それでも、
ボクにとっては、最大限に尊敬する人物だった。
叔父として誇らしい男だった。
後ろ。
従兄の胸。
笑顔の叔父。
冬晴れ。
淡雪。
風花の中。
見事な人生の幕を引いた。
叔父さん・・・ありがとうございました。
お世話になりました。
永らくの父親代わりの役。
本当にありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。
ボクは、
叔父さんに・・・
アナタに恥じない生き方をしたいと思います。