MOSえふ・いーてぃー漫遊記 (その2) SONY(ソニー) TA-F555ESL | B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

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わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

”その1”で先にご紹介した、HA-6800様 が、

99年の早春に、あえなく天に召されたとき、

代わりのあんぷということで、白羽の矢をば立てたのが、

このひとの巨体だったのです。


B級お~でぃお珍道中


それは何故か?と尋ねたら、このひとが世にデビューした1991年、

ここのところのエントリーで、幾度か名の出た 「教祖様 」が、

「MOSの良さがよく出たあんぷ」と、褒めていたのを知っていたから。

加えてこのひとの弟機である、333ESL様 も、

近年けーぶる方面で、その名を馳せたる評論家様 が、

下にも置かぬ絶賛ぶりで、その、いわば兄機が悪いはずないと、

ろくろく試し聴きもせず、中古の品を購めたのです。


持って帰って梱包を、開けたるときの驚きは、

今でも忘れられないのです。



うぇぇ~~~~!、すげ~~~~!!、

でっけ~~~~!!!



そう、このときは、わたくしが、

大鑑巨砲おーでぃおの、生まれて初めてその片鱗に、

触れた瞬間だったのです。

放熱口から透かし見る、「とらんす」やら「こんでんさー」は、

今まで使ったどのあんぷより、堂々と鎮座ましましていて、

それらを支える「土台」のほうも、「Gしゃーし」 なる名を持った、

特殊な素材で複雑な、リブ構造のものでした。


「やっぱり本格おーでぃおは、物量がなきゃ話にならん」 と、

「これでようやく一端の、マニアを俺も気取れる」 と、

まだその音も聞かずして、厭が応にも高まる期待に、

わたくしは打ち震えたのです。


でも、繋ぎたるすぴーかから、流れ出てきたその音は、


低音域が 「ぶかぶか」 で、高音域は清涼感やら、

きめ細かさこそ感じても、どこかなまった雰囲気の、

また中域は厚みも深みも、あるのになぜか浸れない。


最初わたくしが期待した、HA-6800様の、

冴え冴えとした「切れ」感だったり、虚空に浮かぶ立体感とは、

随分違ったものであり、

その実態は各音域の、出方がどうこう、言うことでなく、

特性を追い求めるあまり、肝心の音が死んでしまった、

そんな印象を持ったのです。


しかし、めげないわたくしは、

「そうか!やっぱり、高級あんぷは"えーじんぐ"が必要なんだ!!!」と、

1週間も電源を、入れっぱなしにしてみたり、

「これは、あるいは繋いだ機材の、あらが出てきたものかしら???」と、

知人のおーでぃお機材やら、けーぶると繋ぎ換えたりと、

涙ぐましい不断の努力を、試みて続けて見たものの、


やはり6800様の、華麗な声には程遠く、

良く言ってみれば 「すっきりとした、けれどウォームな」音だけど、

悪口を言えば 「図体ばかりの、腑抜け野郎」 という印象が、

次第につのっていったのです。


それでも出会いの (ただし「見た目」の) 印象を拭いされなくて、

「いつかは化けてくれるのでは?」と、手放すこともためらわれ、

ばぶるの残照を表現したる、インテリアへと変わったものの、

そのうち、「音の良し悪しに、物量が及ぼす程度」 のほどに、

興味を覚えて手当たり次第、他のあんぷを集め出したら、

このひとに持った執着心も、いつしかひどく薄れてしまい、


自宅リフォームの資金の足しにと、2007年の6月に、

里子に出してしまったのです。

※ 他の機械は未練たらたらだったけど、このひとだけはホントにあっさり見送ったなぁ。。



ただ、このひととの経験は、

「いくら他人が褒めそやしても、自分に合うとは限らない」 とか、

「やっぱり自分の耳をもって、確かめなければだめなのだ!」という、

当り前ではあるけれど、実はなかなか難しい、


おーでぃお道の嗜みに、一番大事な教訓を、

しかと根付かせてくれたのです。

※ でもその結果は家の中に、足の踏み場も事欠く始末。。。。