こんにちは。松井でございます。
東京は入梅したと聞いておりましたが、本日は暑いくらいの晴天です。
窓際の私は頭上に燦燦と太陽が降り注ぎすぎ、困ったことになっております。

さて過日、大阪中ノ島のリーガロイヤルホテルで開催されました、
掲題の講演会に参加して参りました。

この”阿闍梨”(あじゃり)とは、高位な僧侶の職位であり、
天台宗の”阿闍梨”は、千日回峰業という命を掛けた業を成し遂げた僧侶がなる、というような内容を、
小生幼少の頃、父親より教わっておりました。

この千日回峰業について当時受けた説明が今でも極めて印象深く残っております。
なんでも、7年をかけ約4万㌔を歩き、さらに約9日間、食べること、寝ること、横になることなく、
お堂の中に籠り、ひらすらお経を唱え続けるのだと。
そして、その極めて辛い業を成しえた人は”阿闍梨”として、生きながら仏となるんだ。と。

子供心に、小生もいつかこの”阿闍梨”にお会いしたい、と考えておりました。
そしてそのまま不健全ながら成長し、大人になった今、お会いする機会に巡り合いました。

改めてこの千日回峰業、そして比叡山延暦寺における修行の内容を調べてみると、
過酷などという言葉すら、まだなお甘く聞こえるほど、厳しいものであります。

この酒井雄哉大阿闍梨は、千日回峰業に入る前、三年籠山という修行を成し遂げておられます。

一年目は最澄廟の世話をする侍真の助手を務め、二年目は比叡山の百日回峰業を、
そして三年目は、明治時代死人が出たほどの苦行である常行三昧という行を行いますが、
この常行三昧とは、本尊の周囲を只管歩き続けるもので、90日間横になることは許されず、
1日数時間、手すりに寄りかかり仮眠をとるというものです。

また、千日回峰行とは、天台宗独特の不動明王と一体となるための厳しい修行であります。
行者は、蓮の葉を象った桧笠をいただき、白装束に草鞋ばき、死出紐と宝剣を腰に、
もし行半ばで挫折すれば自ら生命を絶つ掟のもとに、1年目から3年目は、
比叡山中255箇所を巡拝する行程約40キロを休まず各100日間、
4年目と5年目はそれぞれ連続200日、計700日の回峰をします。
700日終了の後9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じます。

6年目は京都市内赤山禅院往復が加わる一日約60キロの行程を100日、
7年目は前半100日を僧坊を出て京都市内寺社を巡拝往復する一日84キロの「京都大廻り」、
後半100日を山中約30キロを行歩する。7年間で合計1,000日を回峰し「満行」とする厳しい修行であります。
この1,000日で歩く距離は約4万㌔、地球を一周するに等しい距離になります。

堂入りとは、千日回峰行を目指す行者は700日の回峰を満じた後、
不動堂に籠もり9日間、不眠・不臥・断食・断水で十万遍の不動真言を唱え、
不動明王と一体になる行を満じる。生きたまま出堂できるかわからぬため、
親族、一山の僧と別れの儀式をして籠もる「生き葬式」と言われる大変過酷な行です。(*)

そして酒井雄哉大阿闍梨は、この千日回峰行を二度、満行されておられます。
歴史上二度の満行は、僅か3名なんだそうです。

気の遠くなるような期間、この二回の千日回峰行だけで14年間。
大阿闍梨はその途中、まだ一向に見えない満行の日をどのような思いで待たれたのでしょうか?

その解は極めて明快でした。
あと何年なんか考えたことなど無い。人生は毎日毎日の積み重ねで構成されるものであり、
今日は何をする日なのだ、ということを日々考えた、と仰いました。
今日を生きるのだ、と。

当日、広い会場を埋めつくした人々の前の大阿闍梨は、壇上机も椅子もある訳ではなく、
80歳を過ぎておられるというのに、凛と立ったまま二時間、お話をされました。

我々は日々生きていく中で、様々な目標を掲げ、時にはそのプレッシャーに潰されそうになり、
失敗が続き、葛藤に苛まれる時など、自身がおかれた環境を恨むときもあります。
出口はどこにあるのかと、もがくような自問を繰り返すこともあります。

その答えの一端を、その日の凛としたお姿に見出すことができました。
大変に貴重な学びの機会となった講演会でございました。

小生も、毎日懸命に生きて参りたいと存じます。


松井 啓亮

(*:参考、酒井雄哉大阿闍梨Web)