がんばり度
がんばっている度数をがんばり度というとしましょう
度数が高いほど、がんばっています
私のがんばり度はとても低いような気がします……………
しかし、ちょっと待ってください
なにをもって、がんばり度の高さを決めるのでしょうか?
自分ががんばっていれば高いのでしょうか?
それとも人と比べて、彼よりは楽をしているから、彼女より仕事が早く終わるから、、、そういう理由でがんばり度が低くなるのでしょうか?
つまり、絶対的なのか、相対的なのか…
どちらが正しいのでしょうか?
あるいはどちらも正しいのでしょうか?
人の能力や経験したことには差があります
それを考えると相対的(=人と比べる)のはおかしいような気がします
だからと言って、明らかに人より少なくても「がんばったからいい」というのはどうかと思います
「自分はがんばった!」と思うことはいいことなのでしょうか?
自分で限界やラインを決めてしまっているようにも思います
それならば、人に認められればいいのでしょうか?
しかし、人に「がんばっているね」と言われても、自分ががんばっていると思わなければ、やはりそれはがんばっていないのだとも思います
難しい………
こういうことをたまに考えます
度数が高いほど、がんばっています
私のがんばり度はとても低いような気がします……………
しかし、ちょっと待ってください
なにをもって、がんばり度の高さを決めるのでしょうか?
自分ががんばっていれば高いのでしょうか?
それとも人と比べて、彼よりは楽をしているから、彼女より仕事が早く終わるから、、、そういう理由でがんばり度が低くなるのでしょうか?
つまり、絶対的なのか、相対的なのか…
どちらが正しいのでしょうか?
あるいはどちらも正しいのでしょうか?
人の能力や経験したことには差があります
それを考えると相対的(=人と比べる)のはおかしいような気がします
だからと言って、明らかに人より少なくても「がんばったからいい」というのはどうかと思います
「自分はがんばった!」と思うことはいいことなのでしょうか?
自分で限界やラインを決めてしまっているようにも思います
それならば、人に認められればいいのでしょうか?
しかし、人に「がんばっているね」と言われても、自分ががんばっていると思わなければ、やはりそれはがんばっていないのだとも思います
難しい………
こういうことをたまに考えます