ある裁判官の話 | Lin's Times

ある裁判官の話

ある日常が病気によって乱されたら、人はどう行動するべきなのか、
健康な今は創造するのが難しいけど、考えておきたい。
from2ch

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今日夕方のTVでやってたドキュメントです。
思い出しながらまとめたので、専門用語等まちがってたらスマソ。

ある裁判官がいた。
彼は、神戸の酒鬼薔薇事件の審判を担当し、
その要旨を初めて公開に踏み切ったことから
『少年審判の改革判事』とよばれ
青少年の更正に心をそそぐ熱心な判事だった。

定年も近付いたある冬の日、彼の体に異変が起こる。
咽喉ガンが見つかったのだ。ガンの切除=声を失う事。
裁判官である彼は、声を失う事に悩みショックを受けた。
しかし彼はその運命を受け入れることにした。
「普通に生きてたら、人生ひとつの立場からしか
ものごとが見れないかもしれない。
 でも、このハンディを背負って弱者になることで、
 ふたつの立場からものごとが見れるようになるから。」と。

手術は無事成功し、彼は声を失った。
そして、咽にあけられた穴から空気を送って、
口にくわえたチューブで話すという人工声帯の訓練を始めた。
3ヶ月後に控える退官の日までに、もう一度公判の場に立つために。
筆談やワープロでコミュニケーションをとりながら、妻と共に声を出す練習の日々が始まった。
人工声帯の発声の訓練に通い、病院でも毎日3時間本の朗読をし、
新聞を読上げては妻に採点してもらうのが日課となった。

順調に復帰に向かっていた矢先、
今度は食道へのガンの転移が発見された。
早期発見だったので大事には至らなかったが、
手術により体重が10キロ減り、体力が著しく低下してしまった。
それでも彼はあきらめなかった。
自宅に戻っても、妻のサポートを受けながら発声の訓練を続け、
復帰をめざした。
そして定年の3週間前、念願の復職。
退官までに7件の審判を担当し、人工声帯で判決文を読みあげた。
「すべて聞き取れました。丁寧な審判ありがとうございました。」
と声をかけられた。

いつものように食事をし、いつものように支度して、
いつもの道を歩いて、むかえた退官の日。
彼は38本のバラの花束を抱えて帰ってきた。

「この花はお前に。
 38年間の裁判官としての生活を支えてくれてありがとう。」


人工声帯からひとことずつ大切に発せられる言葉に、妻は涙を流した。

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自分的に心に残ったのでメモ。
常に前向きに、逆境に負けない強さが欲しい。