駆け出しの中国語教師のころ、参考書に頼っていた。「“一路顺风”の意味は?」、「道中ご無事で」と答える。“你怎么能说这样的话?”を「どうしてこんなことが言えようか」と訳したりして。「せんせ~い、あんな日本語を私たちは言わない」と若い学生によく言われた。

“你怎么能说这样的话?”は反語文。
「反語文とは否定の形で強い肯定を、肯定の形で強い否定をというふうに、いいたい内容を反対の形で表す強調表現です」。調べるとある有名な参考書にこう書かれている。中国語では“反问句”というので、いままで何も疑問に思わなかった。

ところでこのあいだ、「“难道”の意味は「まさか」と思っていますが、ときどきピント来ないです。反語文をもっと知りたいです」とリクエストを受けた。
授業準備をしたとき、次の例文に出会った。

 A)难道你去过北京吗?   (北京に行ったことあるの?)

 B)你不是去过北京吗?   (北京に行ったじゃないの?)

难道~吗? 不是~吗? これはよくあげられる反語文。

よく考えると、“你去过北京。”にこの二つの表現を付けると、意味は逆になる!

 A)話を聞く人は、絶対北京に行ったことがない、という前提で話す。

 B)話を聞く人は、北京に行ったことがある、という前提で話す。

A、Bはどれが「否定の形で強い肯定を、肯定の形で強い否定を?」と聞かれても、分からなくなった。
そもそも、反語とはどういう意味なの?

では、定義ではなく、実際の反語文(データ)から規則性を探ってみよう。
反語文の例文を観察すると、ひとつの共通性が分かる。

「反語文はほとんど疑問文です」

疑問文といえば、「質問―答え」というセットになる。

ふつう、話す人が答えを分からない。答えは聞き手の中にある。「知らないから聞いている」。

しかしときには「知ってるくせに聞く」ということもあるよね。これは、話す人が答えを持っているケース。

はい。ここまでくると、謎はカンタンに解けた!
反語文を「疑問文の中で話す人が答えを持っているケース」と定義すればいい。


A)难道你去过北京吗?   
(「あなたは北京に行ったことがない」と私が知っているよ)
B)你不是去过北京吗?   
(「あなたは北京に行ったことがある」と私が知っているよ)

つまり、反語文は、「反対の形で表す強調表現」よりも「結論ありきの質問」ではないか。



残ったもう一つ問題は、なぜ学生は“难道=まさか”にピンと来なかったか?

难道你去过北京吗?

日本語でも反語で訳すならば、「まさか北京に行ったことがあるのではあるまい」となる。

ところが、現代日本語では、中国語ほどこういう形を使わない。(「どうして~できようか」を日常会話であまり言わないと同じ)
そのため、「まさか」を使わないで、「北京に行ったことあるの?」「北京にいったことがないくせに」と訳したが腑に落ちるのだろう。


反語文の定義はおもしろいテーマになりそう。
それ以前、“难道~吗?”と“不是~吗?”を「反語文」に一括りにする場合、「相反する意味だよ」という点を忘れてはいけない。


追伸:

ブログをアップした後、ツイッターでシュウシュウの助さんから重要な指摘がありました。
「つまり反語文という文は厳密には存在せず、疑問文の体をした反語的用法ということです」
まったく同感です。
つまり、以上すべての「反語文」を「反語表現」と理解していただければ幸いです。