慈覚大師・円仁は、遣唐使の舟で中国に行き、長安で長期滞在した。
10年間の異国暮らしを『入唐救法巡礼行記』という日記に記した。
泊まった寺院、もらったお土産など。
彼の日記に基づき当時長安の街風景などについての研究もある。

その関係の論文をいくつか訳した。
ある年、訳文を送った翌日に中尊寺・松島にある瑞巌寺に行った。
それらの寺に慈覚大師が開いたと書いてあった!
そのとき、円仁さんとご縁があるようなに気がした。

今回旅行のメインテーマは、安土城の跡だ。
ほかにもう一カ所と考えるとき、比叡山という選択肢が浮かび上がってきた。
比叡山と言えば、伝教大師・最澄だ。
彼は寧波で一年だけ留学した。寧波の近くに天台山がある。

原稿を一段落して旅に出る前日の夜、『密宗の本』をめくって予習をした。
最澄の次ぎに、円仁の話が書いている。
円仁と比叡山、楽しい予感がじわじわとわき上がってきた。


次の日、まず新幹線で名古屋まで。
こういう元気なお兄さんに出会った。



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そこで東海道本線に乗り換え、関ヶ原へ向かった。
目的地に着くと、となり席の若い女性2人が「いなか!」
と声をあげ、降りたホームで武将の像を撮りまくった。

彼女たちが言った通り、定食屋も見あたらないところだ。
コンビニでおにぎりを買い、地べたに坐ってお昼を済ませた。
しばらく歩くと、小さな公園があった。
セミと私だけ、ほかにだれもいない。

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旗に「徳川家康最後陣地」と書いてあった。
公園の近くに資料館がある。
そこで、小早川の裏切りがなければ、石田三成が勝っていたかもとか、
関ヶ原合戦の経過を勉強した。

決勝の地や石田三成が陣を構えた笹尾山も見てみようと。

「関ヶ原合戦の地に向かう。
田圃の中ほんとうに暑いでござる」

facebookに書き込み、野原を横切り、小さい山を登った。

石田三成が立っていただろう場所から、戦場は一望できる。
天下分け目の戦いは、じつは半日で終わった。
準備万端で待ちかまえたのに、右側の軍勢の裏切りで大敗を喫した西軍をどんな気持ちで見ていたのだろう。石田三成は。



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関ヶ原の近くに不破関関係の資料館がある。
三関(不破関・鈴鹿関・愛発関)のひがしは、関東だと言われている。
とても見たかった。
しかしあまりにも暑かったし関そのものはすでに残ってないので、行くのを取りやめた。
電車に乗って安土に向かった。(続き)