本テーマの第3回として、atp***さんの解説を掲載します。今回はブリーフの普及・流行についてよくある説明についての疑問点や矛盾点が指摘されています。関連する項目をキチンと指摘されてみると、「なるほど確かに!」です。そうして指摘された事項は私自身も親世代等から断片的に聞いてきたこととも符号しています(皆さんは如何でしょうか?)。
以下atp***さんの解説
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2.ブリーフ第一世代から聞き知る当時の普及浸透状況
2-1.従来説明での疑問と矛盾点
初めに
今後、ブリーフ第一世代(1950~1960生)から聞き取った事柄≒口述証言(大げさですが・・)を紹介するとともに、それらに基づいて、ブリーフが国内普及・流行して行く際の着用率の動向や受け入れ感覚等について考えて行こうと思います。
今回はまず、ブリーフが普及して行く過程に関わる新聞・雑誌・インターネットの既存記事や説明に感じられる疑問と矛盾点を記します。
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今回はやや長文傾向ですので、記述内容の項目をあらかじめ列記しておきます。
[1]国内での普及状況に関する従来からの一般的説明
[2]従来説明中の疑問と矛盾点
(1)ブリーフの登場場所
(2)浸透・普及の担い手
(3)デザイン・着用感の受容感覚
(4)全盛時代を迎えるまでの経緯と年数
[1]国内での普及状況に関する従来からの一般的説明
終戦後間もない日本に米国からブリーフという新規性(新奇性?(笑))の高い下着が入ってきた後、それが国内に浸透・普及して行く様子はインターネットや新聞・雑誌等の記事に記されています。その代表例として日本版Wikipediaの説明(注1)を採り上げると、次のようになっています。
「①ブリーフは1950年代中頃に登場し、②流行に敏感な青年層を中心に爆発的に浸透した。③その身体に沿った斬新なデザインとこれまでの下着にはなかった穿き心地や機能性から、④若年層を中心に、それまでの既存の男性下着(トランクス、猿股、褌)を駆逐した。その後、カラーブリーフ、ビキニブリーフ等の派生商品も登場し、⑤1970年代には全盛期を迎えた。(番号①~⑤と下線は本筆記者による付記)。
(注1)このWiki説明は別メディアの記事などでよく引用ないし援用されている模様です。
[2]従来説明中の疑問と矛盾点
以上のような解説・説明からは、しかし、以下の疑問点や矛盾点が浮かび上がってきます。
(1)ブリーフの登場場所:上記①項
具体的にはどこ(店や紹介媒体)に登場したのか? 商品として「登場」したのはどのような販売店だったのか? そのメリットを表すような着用状況はどこに登場し、知られ、どう受け取られたのか? 1950年代の中頃当時は、包装商品を手にとって見られるような衣料スーパーはないし、TV等の映像媒体も存在しなかったのですから・・・。
(2)浸透・普及の担い手:②、④項
「若年層(=15~34才)ないし青年層(=20~30代)を中心に”爆発的に浸透し”、”既存の男性下着を駆逐”」とあるので、“15~30代の若人達”がブリーフの“爆発的浸透(=移行)”の主たる担い手だったということでしょうか? つまり、若年・青年層≒自立した若人層(注2)が、自己の価値観と判断で“爆発的にブリーフ移行”したのでしょうか?
この解説は、「近年ボクサーブリーフがブリーフやトランクスに換わって爆発的に普及・浸透した」という状況説明に酷似していますが、約70年前の戦後社会でそのようなことが起こるのでしょうか? 意地悪く見ると、「ボクサーブリーフで起こった急速な普及・浸透状況」を元に、”ボクサーブリーフ”を”ブリーフ”の語に置き換えて説明としたように感じてしまいます。
(注2)当時の高校進学率は45%以下ですから、50%以上の中学卒業者は就職・自立の道を歩んでいたことになります。
(3)デザイン・着用感の受容感覚:③項
ブリーフが入ってきた1950年代は戦後間もない時期です。その当時の若人達の内、15~20代半ばの方達は幼少年時代に戦前・戦中教育(親たちは戦前教育)、また20代半ば以上の方達は成育過程でやはりモロに戦前教育を受けてきた年代に相当します。今の若人達とは感覚が違っていたはずです(今の70~80代の方々が当時持っていた感覚です!)。
そうした当時の若人達が、いきなり「下着の“斬新性”」などという観点を持ち得たのでしょうか? そうして更に「ブリーフの新規性・穿き心地・機能性を急速に認識し、目覚めてすぐに飛びつき、”爆発的浸透”を引き起こす」ものなのでしょうか(注3)?
そうだとしたら、従来の下着とは違う「穿き心地や機能性」を具体的にどのような実感をもって捉えたのでしょう? また、Wikiの説明に沿って言えば、「若人達はそれまで穿いて来たトランクス、猿股、褌から超急速でブリーフ移行した」ことになりますが、そんなことが実際に起こったのでしょうか?
(注3)ブリーフに対する最近の(強い)マイナス印象・評価とはまったく逆に、当時は「一般に今とは真逆の好印象・高評価であった」ことになります。どうしてそうなっていたのでしょうか? つまり、全盛期(1970年代)からわずか10~15年ほどの1980年代で凋落し(=嫌われ)始め、2000年代以降はダサくてほぼ廃れた下着の域に達してしまったとされるので、毀誉褒貶が極めて激し過ぎるように思えるのです。そういう性格を持った下着を当時の人達は実際にどう見ていたのでしょう?
(4)全盛時代を迎えるまでの経緯と年数:①、②、④、⑤項
「①1950年代中頃に登場して、②③④を経て、⑤1970年代に全盛時代」という説明ですが、こうした普及状況は「爆発的な浸透」に相当するのでしょうか? つまり、「ブリーフ登場から男子パンツ=ブリーフとなる全盛時代」に至るまでに約20年もの年数を要したことになるのです(!)。全盛を迎えるまでに20年も掛かってしまう”爆発的な浸透”現象なんて実際にあるのでしょうか?
この(4)は、ブリーフ第一世代から聞き知った「当時状況」との矛盾を強く感じる項目ですし、(1)~(3)の疑問とも密接に関わっています。このため次回採り上げて、「第一世代の口述証言」から聞き知った「当時状況」と照合して検討したいと思います。