昨日10/29は、ドラマーの友人Iにお誘い頂き、彼のホームスタジオでのセッションに参加してきました。
その日のセッションは二本立てで、前半はヘヴィ・メタルバンドのリハーサル、後半はメンバーを入れ替えて某プロジェクトのテーマ音楽を制作するレコーディングセッションでした。
長ーい一日でしたので、この話は複数に分けた連載形式にしようかと思います。
【其之壱、重金属音楽篇。】
メタルの方は亜米利加人の女の子、Eがヴォーカルのカルテットで、2曲の仮録音をしました。
楽譜は用意されておらず、ギタリストのTが弾いてくれるフレーズをその場で手移しコピーする、展開はその場で聴いて紙に書く、みたいな感じです。
Tは実は今年1月に別件で知り合っていて、ジャズもばりばり弾ける人なんですけど、ジャンルによって方法論をきっちり使い分けているんですね。
そもそも、楽譜に基づいてリハーサルをするなんて、クラシックとジャズ/フュージョン系だけなのかも知れません。郷に入っては郷に従えってことで、臨機応変に対処するのもセッションプレイヤーの心得です。
まぁ、僕は初見は超苦手だし、いきなりきっちり書かれたベースラインを示されて「この通り弾いて。練習時間は5分あげるから。」とか言われるよりは、よほど気が楽ですけどね。
最近こそあまり聴かなくなったけど、僕はメタル系の音楽はすごく好きで、特にDream Theater なんかは初来日公演以来、コンサートの度に観に行ったし、それがきっかけでテクニカル系/プログレ系のメタルに相当深入りした時期もありました。
フレットレスベースでメタルをやるのってなかなかチャレンジングですけど、いつかメタル系のバンドでCynic のSean Malone みたいな演奏が出来ると面白いかなと、常々思っていたところでもあったので、今回のセッションは非常に楽しかったです。
3時間ほどのリハーサルの終了後、Eを見送りつつ、次のセッションに参加するキーボーディストCを迎えに、みんなで駅に向かいました。
道中、Eと雑談しながら、日本もすっかり国際化が進んでいるのだなと改めて感じました。10年ほど前に比べると、日本には滞在外国人じゃなくて永住外国人が目立って増えています。
日本人男性と結婚して東京で暮らすEもその一人なのです。
彼女はまだ日本語が非常に不自由だけど、日本に住む以上、日本で音楽活動をしたいと思ったら、日本の音楽コミュニティに溶け込まなければならず、今は言葉の壁でとても苦労していると言っていました。
このバンドで何とかやって行けているのも、帰国子女で英語が堪能なTがいるおかげで、それは彼女にとって幸運な出会いだったのでしょう。
僕も数年前にボストンで同様な体験をしたので、彼女の気持ちはとても良く分かります。
音楽に限らず、本当の意味での国際化というのは、仕事や日常生活といった一次的なニーズを満たすのに留まらず、趣味や娯楽などの精神活動に対するバリアも取り払われることで、初めて実現出来ることなんだと思います。
その際、言葉は確かに大きな障壁の一つですが、たぶん亜米利加のような元々文化の坩堝のような国と、それとは対照的に単一文化に近い日本とでは、バリアの質がだいぶ違うと思いました。
同じ言葉の不自由を抱える僕とEでも、たぶん亜米利加でそれを体験した僕よりも、日本でそれを体験するEの方が、苦労が大きいかも知れません。
そういう意味では、言葉の障壁というよりも、言葉を含めた文化全体の“異質に対する寛容性”という障壁の方が大きいのではないか、という気もします。
そんなことを漠然と考えながら、駅でEを見送りました。
(次回、「其之弐、インスト音楽制作篇」に続く。)
バークリー音楽大学出身ミュージシャンが
中心となって企画する、
ライブ音楽文化の振興を目指すプロジェクト。
Live Music in Your Town (LiMYT;ライミット)
その日のセッションは二本立てで、前半はヘヴィ・メタルバンドのリハーサル、後半はメンバーを入れ替えて某プロジェクトのテーマ音楽を制作するレコーディングセッションでした。
長ーい一日でしたので、この話は複数に分けた連載形式にしようかと思います。
【其之壱、重金属音楽篇。】
メタルの方は亜米利加人の女の子、Eがヴォーカルのカルテットで、2曲の仮録音をしました。
楽譜は用意されておらず、ギタリストのTが弾いてくれるフレーズをその場で手移しコピーする、展開はその場で聴いて紙に書く、みたいな感じです。
Tは実は今年1月に別件で知り合っていて、ジャズもばりばり弾ける人なんですけど、ジャンルによって方法論をきっちり使い分けているんですね。
そもそも、楽譜に基づいてリハーサルをするなんて、クラシックとジャズ/フュージョン系だけなのかも知れません。郷に入っては郷に従えってことで、臨機応変に対処するのもセッションプレイヤーの心得です。
まぁ、僕は初見は超苦手だし、いきなりきっちり書かれたベースラインを示されて「この通り弾いて。練習時間は5分あげるから。」とか言われるよりは、よほど気が楽ですけどね。
最近こそあまり聴かなくなったけど、僕はメタル系の音楽はすごく好きで、特にDream Theater なんかは初来日公演以来、コンサートの度に観に行ったし、それがきっかけでテクニカル系/プログレ系のメタルに相当深入りした時期もありました。
フレットレスベースでメタルをやるのってなかなかチャレンジングですけど、いつかメタル系のバンドでCynic のSean Malone みたいな演奏が出来ると面白いかなと、常々思っていたところでもあったので、今回のセッションは非常に楽しかったです。
3時間ほどのリハーサルの終了後、Eを見送りつつ、次のセッションに参加するキーボーディストCを迎えに、みんなで駅に向かいました。
道中、Eと雑談しながら、日本もすっかり国際化が進んでいるのだなと改めて感じました。10年ほど前に比べると、日本には滞在外国人じゃなくて永住外国人が目立って増えています。
日本人男性と結婚して東京で暮らすEもその一人なのです。
彼女はまだ日本語が非常に不自由だけど、日本に住む以上、日本で音楽活動をしたいと思ったら、日本の音楽コミュニティに溶け込まなければならず、今は言葉の壁でとても苦労していると言っていました。
このバンドで何とかやって行けているのも、帰国子女で英語が堪能なTがいるおかげで、それは彼女にとって幸運な出会いだったのでしょう。
僕も数年前にボストンで同様な体験をしたので、彼女の気持ちはとても良く分かります。
音楽に限らず、本当の意味での国際化というのは、仕事や日常生活といった一次的なニーズを満たすのに留まらず、趣味や娯楽などの精神活動に対するバリアも取り払われることで、初めて実現出来ることなんだと思います。
その際、言葉は確かに大きな障壁の一つですが、たぶん亜米利加のような元々文化の坩堝のような国と、それとは対照的に単一文化に近い日本とでは、バリアの質がだいぶ違うと思いました。
同じ言葉の不自由を抱える僕とEでも、たぶん亜米利加でそれを体験した僕よりも、日本でそれを体験するEの方が、苦労が大きいかも知れません。
そういう意味では、言葉の障壁というよりも、言葉を含めた文化全体の“異質に対する寛容性”という障壁の方が大きいのではないか、という気もします。
そんなことを漠然と考えながら、駅でEを見送りました。
(次回、「其之弐、インスト音楽制作篇」に続く。)
バークリー音楽大学出身ミュージシャンが
中心となって企画する、
ライブ音楽文化の振興を目指すプロジェクト。
Live Music in Your Town (LiMYT;ライミット)