油の衛生講座の後は、三軒茶屋のキャロットタワーにある
生活工房のセミナーに参加してきた。
「知の航海」という連続講座だったが、そのうちの3回に参加できた。
1、都市と食の文化論 菊地成孔×坂村健
2、狩猟から考える 佐々木俊尚×山口未花子
そして今回
3、食べることの未来 石倉敏明×藤原辰史
「生き物」から「食べ物」へ。
・・・という変化から話しが膨らむ。
その瞬間が体験できるのが【躍り食い】、これはまさに「生」から「死」、
つまり生き物から食べ物に変わる瞬間を味わっている。
その時の、ドキドキした、申し訳ないような、気持ち悪いような、複雑な気持ちが、
食べ物になった瞬間、感じられなくなる。
今の食べ物は、「生き物の死んだ姿」と思って食べている人は、少ないと思う。
まして、加工品のように、生き物の原型を全く留めていない物はなおさらだ。
それが本来おかしいのではないか。
日本各地に神事にあるように、
食べ物があるのは、自然のおかげ、神様のおかげ、菌や微生物のお陰、
と見えないものに、畏敬の念を持って捧げてきた。
全ての事柄に魂が宿っていると信じられてきた。
今も各地に残る祭り事もそうだろう。
そんな大切な伝統が、今受け継がれなくなってくるのは寂しい
そもそも
人と自然と食べ物が、余りに遠く離れすぎていることが問題だと思う。
食べ物は以前、物々交換のような形で成り立っていた。
それもお互いの信頼関係があってからこそ。
それぞれの得意分野で、お互い助け合って分配されてきた。
今はどうだろう。
分配が企業になり、商品になったことで、貨幣に頼る生活になってしまった
食べ物は「作るもの」から、「買うもの」へと変化して行ったのだ。
これも問題だ。
人は、生き物を食べ物に変える過程で、様々な知識を学ぶ。
まず、食べられる生き物を自分で採取、狩猟しなくてはならない。
次にこれを安全に、調理をする。
食べやすく、消化や吸収のしやすいように。
そこで使う、【火】と【刃物】、【土器】を使いこなす能力こそが、
生きる力であり、未来の食につながると思う。
便利とか簡便は、人を退化させる。
人が人らしく生きる、とは、広い視野で大自然に飛び込んで
まずは、自然の動植物と触れ合うことが大切なのではないか。
私もまだまだ未熟だが、狩猟採取を体験から学んでいる。
その能力こそが大事!!
と、両氏も自ら体験していると聞き、
共感するところの多い、充実したセミナーだった![]()
