先日、神戸の湊川神社にお参りに行ってまいりました![]()
こちらは、南北朝時代の名将、楠木正成(くすのき まさしげ)公をお祀りしている、
神社さまです。
南北朝時代のお話しは、と~っても長いので、はしょらせていただきますが、
楠木正成公は、最後まで後醍醐天皇に忠誠を尽くし、
「 負ける 」とわかっていても、「 義 」を貫き通した方です。
かの水戸光圀公が「大日本史」を編纂した折、
正義と忠義を貫いた正成公を慕われ、
正成公のお墓が荒れ果てていたのを、
水戸家により、「嗚呼忠臣楠木子之墓」が建立され、
そのことにより、人々がこぞって、墓所に参詣するようになったとのこと…
(その墓所の地に、明治になってから神社が建てられたのだそうです)
歴史というものは、勝者によって曲げられてしまいがちですが、
楠木正成公は敵方の足利尊氏公からも、高く褒め称えられていたそうで、
それゆえ、そのお人柄が正しく、後世に伝えられたのかもしれません…
私が、南北朝時代の争乱を描いた「太平記」を読んだ時は、
どっちが正しいのかわからない、この争乱の複雑さに困惑したのと、
そんな混乱の中、自分自身の正義を貫いた正成公のことを、
「 なんと、意志の強い方だろう… 」 と思ったものでした。
そして、中高年になって、自分の父の姓のルーツをたどっていくと、
楠木正成公にお仕えしていた一族だったのではないかという説が浮かび、
そして、それを裏付ける自身の思い出が、蘇ったのです。
いつだったか、定かではないのですが、
父が、自分の生まれた里の神社に、
私と兄を連れていったのですが、
里の山のてっぺんに建つ神社に、
武将の像が、建てられていて、
その像が、楠木正成公の像だったことを、思い出しました。
そして、父の里は「 楠 」という地名なので、
やはり、正成公にお仕えしていた一族の末裔が、
父の里に移り住んでいたのではないかと、推察されました。
また、今まで私は、神戸に来ると、なぜか、
「食いっぱぐれる」といいますか、「食事」を食べ損ねることが多く、
その頻度が、余りにも多かったので、
「 何で、神戸で食べさせてもらえないのかな~
何か、因縁でもあるのかな~ 」 などと話していたら、
「それ(特定の土地で食べ損ねることが多い)はですね、
そこ(食べ損ねてしまう土地)に、また来い!って、ことなんですよ!」と、
ある方が、教えて下さいました。
ということは、
「 どこか、神戸で行かねばならないところでもあるのかな~ 」とも思い始め、
兵庫県に引っ越してから、色々と調べたら、こちらの湊川神社に行きついたのでした。
楠は兵庫県の県木でもあるんですね…
今回、父方の遠いご先祖がお仕えしていたかもしれない、
正成公の神社とお墓にお参りすることができ、
もしかしたら、ご先祖のご供養ができたのかな~と、少し、安堵致しました…
( もう、これで神戸で「食いっぱぐれる」ことはないかと(笑) )
父へのお土産に、神社のお守りを買ってきました![]()




