透明になる瞬間
静かな夜、
ふと気づくことがある。
痛みを知った人ほど、
やさしい光を放つということに。
それは決して
強く輝こうとしてのことじゃない。
むしろ、
何度も砕けて、
そのかけらの間を
風が通り抜けるようになったから。
光は、
どこにだって転がっている。
朝のトーストの湯気とか、
笑いすぎて涙が出たあととか。
ちゃんと探せば、
ちゃんと、そこにもある。
けれど、
その光を「見よう」と
思えるようになるまでには、
少し時間が必要。
痛みが澄むのを待つ、
あの時間のように。
痛みを抱えたその時間も、
悪くない。
はっきりと見えなくても、
けれど、
その光を「見よう」と
思えるようになるまでには、
少し時間が必要。
痛みが澄むのを待つ、
あの時間のように。
痛みを抱えたその時間も、
悪くない。
はっきりと見えなくても、
ちゃんと変化している。
ほら…
ため息ひとつついたら、
またもう少しだけ軽くなってる。
光は、
闇を否定しない。
闇を通してこそ、
自分の輪郭が見えてくる。
自分を責めるのをやめて、
少しだけ周りが透き通って見えたとき、
世界は、胸が痛くなるほど綺麗。
……それが、
きっと「透明になる瞬間」。
ほら…
ため息ひとつついたら、
またもう少しだけ軽くなってる。
光は、
闇を否定しない。
闇を通してこそ、
自分の輪郭が見えてくる。
自分を責めるのをやめて、
少しだけ周りが透き通って見えたとき、
世界は、胸が痛くなるほど綺麗。
……それが、
きっと「透明になる瞬間」。
そういえば、
「透明」という言葉で、
こんな記事を書いていたことがある。
あの頃のわたしは、
世界から姿を消すことばかり
考えていたのかもしれない。


