揺れの中で、見えたもの

─わたしが大切にしたい在り方






今朝の明け方、
ふと目にしたインスタthreadの投稿。
子供から投げつけられた
ある言葉に傷ついた、
ひとりの女性の嘆き*¹。

痛みを抱える側の気持ちも、
それを受け止める側の気持ちも、
どちらもわかるからこそ、
自分がどこに立っているのか、
少しだけ、わからなくなる。


昨日のわたしは、
どちらの側にいただろう。


痛みを抱える側に、
少し寄っていたのかもしれない。


そんな揺れの中で、
タカコさんの記事にあった
一枚の写真の中の句に
目が釘付けになってしまった。


寂しさをどうにかしようとするのではなく、 
あえて、その寂しさを受け入れる。 

逃げずに、
整えようともせずに、 
ただそこにあるものとして受けとめる。 

そしてそれを、 
自分のこころの主(あるじ)として、
引き受ける。

ああ、わたしは、 
こういう在り方を大切にしたいのだ。
そう思った。



*¹ あるシングルマザーから投稿。

ある日子供に、こんな我慢ばかりの生活は耐えられないと責められ、今までの努力や苦労すべてが否定されたと失望落胆したという内容。

それに対し、投稿者を擁護応援するものと、その子供への同情と共感が入り乱れていた。