その部屋には、昼であっても黄昏が沈んでいた。
西洋ガラスの窓は、曇天を通した光を歪ませ、まるで水底の世界のように、家具や人影を揺らして見せる。

男はそこに住んでいた。
年の頃は二十代の終わりか三十に届くかどうか。
整った顔立ちだが、生気は薄く、視線だけが異様に鋭かった。
彼は未来を語らなかった。
昨日のことも語らない。
ただ「今」の輪郭だけを、指先でなぞるように生きていた。
西洋ガラスの卓上に置かれた煙草に火を点けると、彼は決まってこう言う。
「長く考えると、人生は壊れる」
それは持論というより、呪文に近かった。
彼の部屋を訪れる女は多くなかったが、いずれも似た顔をしていた。
好奇心と不安を同時に抱えた、曖昧な微笑。
彼女たちは赤いビロードの部屋に足を踏み入れた瞬間、何かを失う予感に胸を締めつけられ、それでも後戻りはしなかった。
男は優しかった。
乱暴な言葉も、過剰な愛情も見せない。
ただ、目を見て、静かに相手の存在を受け取る。
だが、彼の優しさは持続しない。
それは火花のようなもので、瞬いたかと思うと、次の瞬間には闇に溶ける。
ある夜、雨音が西洋ガラスを叩く中で、ひとりの女が彼に尋ねた。
「あなたは、私とこの先どうしたいの?」
男は答えなかった。
代わりに、ビロードのカーテンをわずかに引き、赤い布越しに歪んだ街灯の光を見せた。
「ほら、きれいでしょう」
女はそれ以上、何も聞けなかった。
胸の奥で何かが崩れ落ちる音がしたが、それが希望なのか恐怖なのか、自分でも分からなかった。
翌朝、女は部屋を去った。
男は引き留めなかった。
別れの言葉すら、必要ないという顔をしていた。
彼は知っていたのだ。
人は、刹那に惹かれるが、刹那と共に生きることはできないということを。
夜になると、男は再び一人、西洋ガラスの卓に向かう。

「永遠なんて、信じるから苦しくなる」
そう呟いた瞬間、ガラスの中の自分の顔が、わずかに歪んで見えた。
それは老いでも狂気でもない。
ただ、時間を拒んだ者の影だった。
刹那だけを愛した男は、今日も赤い部屋にいる。
未来を持たぬまま、
失われてゆく現在を、静かに抱きしめながら。
西洋ガラスの窓は、曇天を通した光を歪ませ、まるで水底の世界のように、家具や人影を揺らして見せる。
窓辺には、重く垂れ下がったビロードの赤いカーテンがあり、その襞の奥には、いつも何かが隠れている気がした。

男はそこに住んでいた。
年の頃は二十代の終わりか三十に届くかどうか。
整った顔立ちだが、生気は薄く、視線だけが異様に鋭かった。
彼は未来を語らなかった。
昨日のことも語らない。
ただ「今」の輪郭だけを、指先でなぞるように生きていた。
西洋ガラスの卓上に置かれた煙草に火を点けると、彼は決まってこう言う。
「長く考えると、人生は壊れる」
それは持論というより、呪文に近かった。
彼の部屋を訪れる女は多くなかったが、いずれも似た顔をしていた。
好奇心と不安を同時に抱えた、曖昧な微笑。
彼女たちは赤いビロードの部屋に足を踏み入れた瞬間、何かを失う予感に胸を締めつけられ、それでも後戻りはしなかった。
男は優しかった。
乱暴な言葉も、過剰な愛情も見せない。
ただ、目を見て、静かに相手の存在を受け取る。
だが、彼の優しさは持続しない。
それは火花のようなもので、瞬いたかと思うと、次の瞬間には闇に溶ける。
ある夜、雨音が西洋ガラスを叩く中で、ひとりの女が彼に尋ねた。
「あなたは、私とこの先どうしたいの?」
男は答えなかった。
代わりに、ビロードのカーテンをわずかに引き、赤い布越しに歪んだ街灯の光を見せた。
「ほら、きれいでしょう」
女はそれ以上、何も聞けなかった。
胸の奥で何かが崩れ落ちる音がしたが、それが希望なのか恐怖なのか、自分でも分からなかった。
翌朝、女は部屋を去った。
男は引き留めなかった。
別れの言葉すら、必要ないという顔をしていた。
彼は知っていたのだ。
人は、刹那に惹かれるが、刹那と共に生きることはできないということを。
夜になると、男は再び一人、西洋ガラスの卓に向かう。
赤いビロードのカーテンを閉め、外界を遮断し、煙草の煙を天井に溶かす。

「永遠なんて、信じるから苦しくなる」
そう呟いた瞬間、ガラスの中の自分の顔が、わずかに歪んで見えた。
それは老いでも狂気でもない。
ただ、時間を拒んだ者の影だった。
刹那だけを愛した男は、今日も赤い部屋にいる。
未来を持たぬまま、
失われてゆく現在を、静かに抱きしめながら。