前の「私が源氏物語を書いたわけ」と同じ著者。
↑の本の感想をネットで見てたら、こちらの方が面白かったというのを発見。
早速、図書館で予約してゲット。
こちらが最初思ってたとおりの、「源氏物語」の解説本。
個人的には、「私が・・」のほうが、インパクトあったな~
内容は、光源氏の出生から本文を絡めながら、当時の風習とかを解説。
これ!といった新しい解釈は書かれてなくて、拍子抜け。
「正妻」と「妾」の問題については、
この本では、両方の説を併記してて、著者の意見はなし。
結婚問題についての新しい話題は。。。
天皇のきさきだった女性が、夫の死後再婚したという事実はびっくり
一条天皇(后は、定子&清少納言と彰子&紫式部)の女御だった、藤原元子。
父は右大臣で、子どもはいなかった。
↑の二人が妃ではね・・・不幸な宮廷生活だったろう。
崩御当時30代だったらしいが、その後、イケメン中年の参議と恋し、
父は反対したが、振り切って結婚して、娘ももうけたそう。
一応、反対はされたのか。でも完全に引き裂かれたわけではないのは、びっくり。
ほほーー日本はおおらかだったのね~良かったよ。
あちらの下働き女官まですべて「王の女」という悲惨さに比べたら、なんと人道的。
一方、当時の天皇の娘の境遇は・・人道的ではなかったみたいね。
ロシア帝国の娘も同じだった。
要するに、同じ家格の夫がいなかったってこと。
ヨーロッパには王様がいっぱいいたから外国の王と政略結婚できたけど。
まーーー、どちらが幸せかはわかんないが。
平安時代、内親王は結婚しないのが普通だったそう。
律令で、内親王は天皇や皇族を夫とする以外認められてなかった。
が、当時は、藤原氏の力が強くて圧倒されてて入内できなかった。
実際は、臣下と結婚した例もあるそう。
平安時代が始まった桓武天皇(737~806)から花山天皇(968~1008)までの、
皇女は百六十余人。うち結婚したのは25人、と本に書いている。
肝心なことが書いてないけど、臣下と結婚したのが25人ってこと?
「源氏」でも、皇女の結婚は臣下が多い・・女三ノ宮、女二ノ宮、落葉の宮。
確か、独身なのがふつうだけど、と「源氏」の中でも弁明してた。
あれっ、藤壺様がいたね~彼女は皇女で天皇の后になってるよ。
この話を、彰子の女房が書いた意味は?
著者は、桐壺更衣のモデルは、↑の定子だと。
彰子の女房になる前に、書き始めたとも。
定子の鎮魂の書だと著者は書いている。
