愛するバビル⑤
ペットロスの定義は?
当たり前に悲しんでます。
苦しくもあります。
バビルが火葬される時にお花やエサや写真などを一緒にしましたが
どうか僕を一緒に・・・と思いました。
十分にペットロスっていうんでしょうね。
でも僕はいわゆる世間で言うペットロスではないです、今のところ。
シュナ、コンブ、デビ、ヤスミンがいますし、歌い続けなければいけないですし。
この数日は正直なところ何をしてても全くの集中力がなく、ポンコツでした。
何とか取り戻さなければいけないですね。
まだ爆発的に嘆き悲しみ冷静さを失い、自分を見失う・・・みたいにはなっていないですが
なっていないことが不思議でした。
もちろん悲しくて寂しくて涙しましたし、してます。
でも笑顔もあれば、お腹も空けば、テレビを観てアホみたいに笑ったりもします。
そしてまた泣く、みたいな。
そういう繰り返しの毎日と共に
いろいろと思い出し、あの時ごめんなとか
あの時こうしとけば良かったのかなとか
何かを勝手に背負いながら、勝手に苦しみながら、徐々に納得し乗り越えるものと思ってます。
つまりしばらく僕は辛い日々がつづきますが、必要な道。
僕は犬や猫を擬人化しません。
でも人に話すのと同じように喋ります。
誰かと喋ってると勘違いされることもあります。
大切な人が亡くなった時と同じように悲しみますし、いろんなことが人のそれと同じだったりします。
でも犬は犬、猫は猫です。
僕がなまじっか人間であったために、たまたま犬や猫を飼うという立場。
僕にとっては、飼うという責任は担ってるものの
僕と人生を共に歩んでくれてありがとうという気持ちでしかないです。
あれ?十二分に擬人化してます???
人も犬も猫も他の動物も植物も
種を超えて共存
これが我が家では絶対的にブレてはいけないことのひとつです。
バビルを京都で保護した場所は、祖母が亡くなった病院の横にある親が行きつけの居酒屋さん。
妄想的な話になりますが、バビルは祖母だと瞬間に感じたんです。
バビルはオスで祖母は女性ですし、人が猫に生まれ変わるなんてことがあるのかないのか・・・。
でも僕はそう感じたんです。
それは今でも変わることなくの想いで、そう思わせるバビルという猫は
やることなすこと全てが猫ではなく犬でした・・・いや人間のようでした。
あれ?またもや猫を擬人化してしまってます???
人でも犬でも猫でもいいんです。
同じ生きてる者と捉えてるだけのことです。
僕は小さい頃、犬バカと言われてました。
とにかく犬、犬がすべて、欲しい本は犬の本、何冊でも犬の本。
そんな僕が猫にも犬と同じような感情を抱くようになったのは、中学生の頃だったでしょうか。
実家の裏に野良猫が来るようになり、猫が大の苦手な母にしたら大迷惑だったんでしょうが
僕にとっては光輝く出会いでした。
その野良猫がどういうわけか実家の裏で赤ちゃんを産み、母に内緒で僕が世話をしました。
もちろんバレましたけどね。
ここからです、犬も猫も関係なく大好きになり・・・こんな大人になったわけです。
ちなみに、当時の野良猫の写真を今でも持ってます。
バビルは最期の時、病院から自宅に戻って来てエレベーターと玄関に入った瞬間に鳴きましたが
どんな想いで声を出したのかと想像すると、あたたかいものに包まれるのと同時に
この瞬間も心が痛い痛いです・・・。
祖母は病院で亡くなる最期の時、もちろん喋れませんし意識もなかったですし、動くこともできませんでした。
そんな祖母が最期、涙を流しました。
そして指が動きました。
『ハンメ、泣かんといて・・・ありがとう』・・・と。
※ハンメとは、韓国語でおばあちゃんの意味(方言です)
今こうしてハンメのことを思い出すと、最期の時には『ありがとう』がいいねと。
でもそれ以降は『ごめん・・・』の日々に入りましたが・・・。
今回、バビルが亡くなった時ももちろん『ありがとう』という気持ちで送り出しましたが
『ごめん』という気持ちがたくさんありました。
いずれにしても、今後辿らなければいけない道は同じですね。
乗り越えるために必要な時間を要して、必要なだけ自分を責めてみたり
思い出しては泣いたり、楽しく過ごした日々を思い出しあたたかくなったり・・・。
どうやらまだつづくらしい・・・