3月11日の僕 | LIMオフィシャルブログ「LOVE IS MUSIC」Powered by Ameba

3月11日の僕

今回の大震災の当時、事務所にいました。

都内も相当な揺れ。


その時に僕がとった行動

揺れはじめて少しおさまった時を見計らって事務所スタッフと共にすぐさま外に出ました。


外に出ると今度は大きく激しく揺れはじめ

目の前のお家のおばあちゃんがベランダで呆然とされてて

そのままでは落ちると思ったので

『家の中に入って!』と。

家の中も危険です。

阪神の時は倒れてきたタンスなどで圧死されるケースが多かったので。

でも二階から落ちるよりは家の中がマシだと思いました。


しばらく揺れてる間、僕は正直なところ“死ぬかも”と思いました。

阪神の時は京都で経験したんですが

あんなに大きな揺れはもう二度と経験することはないだろうというくらいだったのに

今回の都内の揺れは想像もできなかった激しいものだったので

この世の光景ではないと思える家屋の揺れを見ながら恐怖におののいてました。


ここからは早かったです。

とにかく荷物を持ってみんなで即事務所をあとにしました。

留まることがベストではないとわかってましたし

各々が早急に家路に向かうことがやるべきことと。


幸いにも事務所から自宅までは歩いて40分ほど。

その道中、渋谷の街は混乱しはじめビルの中から人が、人が人が。


自宅に急ぐのは犬と猫がいるから。

僕にとっては守るべき家族です。

彼らは無事でした。

事務所の鏡は粉々になりましたが、部屋の鏡は倒れることなく割れることなくで

犬たちを危険な目にあわせることなくでした。

彼らが無事だったので部屋の中がどんな状態になってようとどうでも良かったです。

とはいえ花瓶は割れ、飾ってたものたちの大半は落ち

チェストは大きく壁から離れ、あらゆる引き出しは開き・・・。


片づけることより先に避難バッグを準備しました。

家にあるものの中で必要であろう品々を詰め込み玄関へ。

我が家には犬と猫がいます・・・5匹。

どうやって避難すればいいのか改めてシュミレーション。

全くなつかず触らせてくれない子をどうやって捕まえればいいのか・・・。


大地震のあとには余震がつづくと知っていたので

揺れまくることに覚悟はあったものの

やはり怖かった・・・。


どこまでの被害が出てるのか正確に知ることが難しかったので

その時まさかこんな事態にまでなるとは思いもしませんでした。

阪神の悪夢が再びと知るにつれて

これは夢かなと本気で思いました。


携帯の地震警報が鳴り響くたびに体がこわばり

靴を履き、いつでも避難できるぞ状態。

何度も何度もそんなことがつづくので、結果家の中で靴履いてダウン着て過ごしてました。


ベッドで普段通りに寝ることはできず

リビングで横になり犬と猫と朝を迎えました。











とまぁ当日のことをお話してみましたが

都内在住の僕が体験したこれくらいのことは阪神の時も体験してますし

被災地のみなさんが体験されたことに比べたら

本当どうってことないです。

とはいえやはり余震は怖いし、不安もあります。

でもでも都内の混乱や、さまざまな不安定さは僕にとってはどうってことないことです。

だって家があって、ご飯があって、お風呂に入れて

大切な物はあり、大切な人たちは生きてくれてて

取り返しがつかないような“変化”は起こってはいませんから。

なので都内在住でありながら

ギャーギャー騒ぐことがないようにします。


都内なんて平和なもんです。

阪神の時も神戸は悲惨な状況だったのに

隣の大阪・京都は何ごともなかったかのように社会がまわってて・・・。

今回も似たようなものです。

東京は阪神の時の大阪・京都。

なので僕はいくら今が不安定な状況であっても

不安が払しょくできない状況であっても

決して被害者ぶるようなマネがないようにと心がけます。

もちろん東京も被害があったわけですが。


あくまで僕の考え・想いです。











今回の震災でお亡くなりになられたたくさんの方々のご冥福をお祈りすると共に

被災された方々へ心からのお見舞い申し上げます。

一日も早い救済・復興のために微力ながら自分にできる精一杯で尽力いたします。






愛を込めて・・・。






☆LOVE☆HOPE☆PEACE☆