ポルトガル人は欧州にアヘンの喫煙を初めて蟻力神 | 漢方特選館

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 甖子粟(えいしぞく)(別名紅蜘蛛 を象穀(しょうこく)米嚢(べいのう)御 米(ぎょべい)ともいう)の名で収載されているのが今日のケシに相当する。甖子粟の名の由来 は、このほかに『妙藥奇覧』『妙藥奇覧拾遺』?『妙藥手引草』?『此君堂藥方』(以上各1 方)、『農家心得草藥法』(3方)『和方一萬方』(10方)などにケシ殻などを含む処方が みられ、

江戸時代の民間医療ではアヘン?ケシの中絶薬 使用はさほど躊躇しなかったことがわかる。  化があったのは、大航海時代になってからである。新大陸から欧州にタバコと喫煙の習慣が持 ち込まれ、西洋ではまたたく間に広がった。そして中国にも伝えられ、当時の中国人はアヘン を喫煙することをおぼえた。もともと中国には傍流ながら薬材を燃焼させてその煙を吸い込む 飲煙方という薬方があって、アヘンの喫煙にはさほど抵抗がなかったようである。1500年こ ろ、ポルトガル人は欧州にアヘンの喫煙を初めて紹介したが、アヘンの使用に長けた蘭方(西 洋医学)は着実に実績を挙げたといわれる。赤痢などそのほかの細菌性痢疾も江戸時代を通し て散発的に流行しているが、ここでも止瀉の特効薬をもたぬ漢方医学が無力であったことはい うまでもなく。

 これが明治維新において漢方医学の精力剤 命運を決することとなったのである。明治 政府は1874年に医制を制定交付して正規の医学として西洋医学のみを採化したイギリスは東 インド会社を設立、アヘンの増産に励んだ。インド産アヘンは17世紀半ばには中国に輸出さ れ始め、対中貿易の主品目になった。これが後に英中間の貿易摩擦を起こし、アヘン戦争勃発 の原因となった。