ガスライティングという言葉、心理用語では精神的虐待と比例される。




それをしてくるやつは、大抵会話をしてるうちに事実が相手の良いように捻じ曲げられ、気づいたら私の頭がおかしくなったかのように思わせてくる。

彼が何かをやらかして、それに対して反論したらあれやあれやと言い返され、気づけば私が過去にやらかした問題に対しての説教の会話にすり替えられる。そんなうちに何かをやらかした彼は悪くなくて、それを責めた私が実は悪いのだと思わせてくるのだ。

この言葉もまた、友人に彼氏のことを相談した時に教えてもらった。アメリカでは"ガスライティングされている"というフレーズは広く知れ渡っている。









時に人は事実を捻じ曲げる。時に無意識に。根底には、自らを否定されたくないという必死の自己肯定、その根拠のない自信をまるでベニア板の補強のようなレベルで強い言葉でそのプライドを守ろうとしている。

哀れだ。

なぜ彼はそんな風でしか自分のことを信じられないのだろう。

事実は時にナイフのように心に突き刺さる。目を背けず事実を受け入れるには、訓練が必要だ。これは、子供の時から親が教える必要があると思う。


到底納得のいかない事実と向き合った時、人はどうするのだろうか。


戦う?なにと?なんのために?


受け入れる?それが変わらない事実なら?



心との対話は人生において最も大切な事だと思う。貴方はあなたでしかなくて、あなたの心の声を聞くのも生み出すのも、あなた次第。心の声を聞くのと同時に、周りとのバランスをとるのだ。調和。こうやって、人間関係は尊敬芯があってあなたの心をリスペクトすることで成り立つ。




ガスライターは悲しくも、尊敬のかけらが存在しない。物事の良し悪しの基準は自分で、1番大切なのも自分、それを貫けるのであれば事実さえねじ曲げ、きっと上司や目上の人にですら貴方が間違っていると自信満々でぶつかっていくのだろう。

前をまっすぐ見れないガスライター。

悲しきかな、、、