SNSをきれいさっぱりやめると決めてから、こまったことがおきました。
それは、友達やだいすきな人たちの近況もみれない ということ
なぜなら、エネルギーが下がりそうだから。。。
ほんとごめん
みんながわるいとかじゃなくて、今のわたしにはいれちゃいけないフェーズにきてるってことだとおもうんです。。
実際、この数年であ、もういいや、ってなった人たちって、今みてもはなれてよかったなーとしかおもわない
あのときのわたし正しかったな、直感キレッキレやな としかおもえない
むしろ一時でも交わった瞬間があったことのほうが奇跡としか思えない
どの思い出もすべて大切な宝物です
たのしったこともつらかったことも
↑でかいたことも、今かんがえれば、もう2度と出会わなかったとしても大丈夫🙆♀️
だってわたしたち弱くないし。
みんな強いから、心配しなくて大丈夫。
わたしもこれからさなぎになる時期なんだとおもいます。
いったん殻の中にとじこもって、ドロドロになる時期。
まわりも、自分も、現時点ではまったく想像できない姿に変化するために必要な時期。
わたしの中では絶対大丈夫だってわかってるんです。
こういう感覚を、人によってはハイヤーとかご先祖さまとかいろんな表現をしているんだろうな、とぼんやりわかるようになってきました。
とにかく、わたしが愛だとおもっていたものは実は執着だったんだ、とおもいます。
だから苦しかったし、あせっていた。
専業主婦として向こう10年はまったり暮らす、という夢をみていたときも、資格も仕事も家計も夫まかせ、という条件つきだったから、
いつも不安になるような問題がつぎからつぎへとふってきて
夢をみるとき、そこに
だれかやなにかがある前提、してもらう前提
という制限がついていたら、それは自分ではコントロールできないがゆえに、いずれ執着になって我が身を苦しめる呪縛になる。
たとえそれが恩返しという愛にあふれた(ようにみえる)目的であったとしても!
善意の押しつけ、愛の押し売り。
そうなったらおわりですよね。
信じて、手放す
愛するからこそ、にぎりしめない
なんてなんてむずかしいんだろう
執着は心を重くし、愛は心を軽くする
心にうかんだときに、うわとおもたい気分になったら、もう潮時です。
一時の縁に感謝して、そっと離れましょう
たとえ二度と会えなかったとしても、しあわせでいてくれればそれでいいんだから