また、おいらはこうもおもった。
上記の脚本家氏は、或は聖書にはやや疎く、A.ジィドのよく知られた
自伝「一粒の麦もし死なずば」を読んでいたのかもしれない。
おいらの高校生の頃、地元の駅の反対側にあるK書店に新潮文庫版が
並んでいたのを覚えている。
当時、文庫本は岩波文庫もそうだったが、カヴァーはついておらず
パラフィン紙のような半透明のすこし厚手の紙がくっついていた。
帯の上にね。
在庫が長引くとーつまり売れねぇー本はー、パラフィン紙が埃で
土色に変色してくるのだった。
なんで、おいらは学生の頃、新宿の紀伊国屋書店で、てめぇーの買う本の
パラフィン紙が薄汚れていると、きれいな本のそれを勝手に剥がして
じぶんの買う本に付け替えたりしたこともごぜぇーますだ。
いまじゃとても恥ずかしくてやれねぇーよ!
。。
新潮文庫の外国文学は、当時ややくすんだオレンジ色の帯が付いていた。
脚本家氏はその本を読んだのだろうか?
いま検索してみたら、絶版になっている。
残念だ。
おいらは図書館にこのアップ後、予約するつもりだ。
今回は、別の文語訳を挙げておきたい↓。
誠に實に汝等に告ぐ、
麦の粒地に墮ちて、若死せざれば、
唯一にして止るも、若死すれば多くの實を結ぶ。
己が生命を愛する人は之を失ひ、
此世にて生命を憎む人は、
之を保ちて永遠の生命に至るべし。