ここは古い話ばかり書くことにしている。
なぜならば、ボーイの青春期を形づくったのが
十台半ばから二十台半ば、主に学生時代だったからだ。
また当時のことを自分でも意外におもうほど、
鮮明に覚えていることもある。
尤も断片的にではあるのだが。。
不思議だ。
二十台後半からあとは、仕事が中心で、自分の
趣味(ーじつは何もないんだがー)に時間を
ゆっくり取ることができなかった。
だいぶ損したかも知れない。
いろいろな話題にからめて、青春時代のことを
すこしづつ述べてきた。
文学、音楽、映画など。
もうそろそろ、このブログを終えてもよい頃かな
とも思っているが、まだまだ書き足りない気も
している。
NHKーFMで土曜日の晩に、「音楽時評」があった。
野村光一、中島健三、吉田秀和の三人の合評。
時評だから月に一回やっていたのだろう。
メンバーが入れ替わったこともあった。
大木正興がはいったこともあったか。
記憶では、野村の評は保守的でやや技術に偏重
(ピアニストの評には矢鱈に細かかった)、
中島は細かい事よりも総評といった趣き、
吉田のは印象的・感覚的な評だった。
誰の演奏だったかーその演奏をまるでターナー
の絵を見ているようだーと吉田は語っていた。
その評は既に朝日夕刊で読んでいたが、
音楽を絵と比較するという論に驚いたと同時に、
聴覚と視覚を同一上に挙げるのは、新鮮さと
??とが一体となり長く記憶に残った。
(全集にはいっている筈)
この辺りが、吉田と他の音楽評論家と称する
ひとたちとの大きく一線を画するところだろう。
ボーイは、この些細なことをもってしても
吉田の音楽哲学に多大な敬意を表する者である。
ここに吉田の最大の魅力が潜んでいるのだ。
吉田秀和を「詩人」と呼ぶ所以である。
なぜならば、ボーイの青春期を形づくったのが
十台半ばから二十台半ば、主に学生時代だったからだ。
また当時のことを自分でも意外におもうほど、
鮮明に覚えていることもある。
尤も断片的にではあるのだが。。
不思議だ。
二十台後半からあとは、仕事が中心で、自分の
趣味(ーじつは何もないんだがー)に時間を
ゆっくり取ることができなかった。
だいぶ損したかも知れない。
いろいろな話題にからめて、青春時代のことを
すこしづつ述べてきた。
文学、音楽、映画など。
もうそろそろ、このブログを終えてもよい頃かな
とも思っているが、まだまだ書き足りない気も
している。
NHKーFMで土曜日の晩に、「音楽時評」があった。
野村光一、中島健三、吉田秀和の三人の合評。
時評だから月に一回やっていたのだろう。
メンバーが入れ替わったこともあった。
大木正興がはいったこともあったか。
記憶では、野村の評は保守的でやや技術に偏重
(ピアニストの評には矢鱈に細かかった)、
中島は細かい事よりも総評といった趣き、
吉田のは印象的・感覚的な評だった。
誰の演奏だったかーその演奏をまるでターナー
の絵を見ているようだーと吉田は語っていた。
その評は既に朝日夕刊で読んでいたが、
音楽を絵と比較するという論に驚いたと同時に、
聴覚と視覚を同一上に挙げるのは、新鮮さと
??とが一体となり長く記憶に残った。
(全集にはいっている筈)
この辺りが、吉田と他の音楽評論家と称する
ひとたちとの大きく一線を画するところだろう。
ボーイは、この些細なことをもってしても
吉田の音楽哲学に多大な敬意を表する者である。
ここに吉田の最大の魅力が潜んでいるのだ。
吉田秀和を「詩人」と呼ぶ所以である。