中学一年生だった。
土曜日の放課後、部活で一時間ほど卓球
の練習をした。
当時、卓球大好き人間だった。
家から歩いて一分のところに卓球場があった。
古い建物で台が四つあった。
当時でも、よそでは卓球場などは殆どなかった。
稀有の場所に住んでいたことになる。
小学校五年生頃から同級生数人と放課後よくやった。
その日は、きょうと同じ土曜日でこれ以上の日が
ないだろうとおもわれる秋晴れだった。
午後の東京
は、ひどく暑く真夏
のようだった。
中学校
の前に、おばさんが一人でやっている売店があった。
お菓子やパン、小物などを扱っている殆どその中学生
やご近所相手の小さな店。
仲間とコッペパン
にジャムを塗ってもらい、牛乳で
流し込んでいたらおばさんがこう云う。
行進が始まったわよ、早く帰って御覧なさい。
急いで
家に
帰った。
茶の間で家族がテレビ
に釘付けになっていた。
東京五輪
開幕の日だった
。
ちょうど四十五年前のきょうだった。
土曜日の放課後、部活で一時間ほど卓球
の練習をした。当時、卓球大好き人間だった。
家から歩いて一分のところに卓球場があった。
古い建物で台が四つあった。
当時でも、よそでは卓球場などは殆どなかった。
稀有の場所に住んでいたことになる。
小学校五年生頃から同級生数人と放課後よくやった。
その日は、きょうと同じ土曜日でこれ以上の日が
ないだろうとおもわれる秋晴れだった。
午後の東京
中学校
お菓子やパン、小物などを扱っている殆どその中学生
やご近所相手の小さな店。
仲間とコッペパン
流し込んでいたらおばさんがこう云う。
行進が始まったわよ、早く帰って御覧なさい。
急いで
茶の間で家族がテレビ
東京五輪
開幕の日だったちょうど四十五年前のきょうだった。