「夕陽妄語」の加藤周一は「論」の評論家であり、その文章の
読みにくさは先に触れた。話題も難しく論理を往々にして
越える厄介なモノだ。
毎月、加藤のコラムと前後して吉田秀和が音楽の話をこちらも
延々と書いている。三十五年以上になろうか?
吉田は、おなじ朝日でも音楽評論家とクレディットされたり、
単に「評論家」とされたりしてきた。音楽以外のハナシは
評論家になっちゃうのである。
吉田秀和は本質的に広い意味での「詩人」だろう。
「論」より「感」の人で、文章はわかりやすく情緒的で
繊細、親しみ易い。
(新聞という媒体の所為かしら?という表現をよく使う)
ボーイ学生の終わり頃から白水社より全集が出始めた。
(全集の)新刊が出ると図書館に予約し、購入を促した。
(高くて手が出ないのです!)
吉田秀和には学生の頃から大きな影響を受けた。
その全集はいまはボロボロになって、中央図書館の保存庫で
借り手を待っている。
いずれまた借りて、ベート-ヴェンやモーの感性的な「評論」
を愉しんでみたい。
読みにくさは先に触れた。話題も難しく論理を往々にして
越える厄介なモノだ。
毎月、加藤のコラムと前後して吉田秀和が音楽の話をこちらも
延々と書いている。三十五年以上になろうか?
吉田は、おなじ朝日でも音楽評論家とクレディットされたり、
単に「評論家」とされたりしてきた。音楽以外のハナシは
評論家になっちゃうのである。
吉田秀和は本質的に広い意味での「詩人」だろう。
「論」より「感」の人で、文章はわかりやすく情緒的で
繊細、親しみ易い。
(新聞という媒体の所為かしら?という表現をよく使う)
ボーイ学生の終わり頃から白水社より全集が出始めた。
(全集の)新刊が出ると図書館に予約し、購入を促した。
(高くて手が出ないのです!)
吉田秀和には学生の頃から大きな影響を受けた。
その全集はいまはボロボロになって、中央図書館の保存庫で
借り手を待っている。
いずれまた借りて、ベート-ヴェンやモーの感性的な「評論」
を愉しんでみたい。