(一部、以前のと内容が重複します)
現代の日本では生きる力を失って自分で死を招く人が
年間3万人もいます。
他方、400年前のキリシタンは信仰を守って、何千人
もの人が命を捧げました。
江戸時代初期と2008年の現代を比べて大きな違いがあります。
同じ人間の死でありますが、その死に方には大きな違いがあります。
この違いをどう考えたらいいのでしょうか?
複雑な気持になります。
現代という時代、一人ひとりの存在が薄く軽く、存在感が非常に
希薄になっているように感じます。
自分の存在の意味が分からない。
自分は何のために生れてきたのか?
何のために生きているのか?わからない。
そのような思いを抱いている人が少なくはありません。
人は他者とのつながりの中で自分を見出し、自分の存在
の意味をしります。
一人ひとりの人が他の人とのつながりの中で、本当にその人と
して大切にされて、生きる喜びを感じます。
(08.12.24. 東京大司教)
現代の日本では生きる力を失って自分で死を招く人が
年間3万人もいます。
他方、400年前のキリシタンは信仰を守って、何千人
もの人が命を捧げました。
江戸時代初期と2008年の現代を比べて大きな違いがあります。
同じ人間の死でありますが、その死に方には大きな違いがあります。
この違いをどう考えたらいいのでしょうか?
複雑な気持になります。
現代という時代、一人ひとりの存在が薄く軽く、存在感が非常に
希薄になっているように感じます。
自分の存在の意味が分からない。
自分は何のために生れてきたのか?
何のために生きているのか?わからない。
そのような思いを抱いている人が少なくはありません。
人は他者とのつながりの中で自分を見出し、自分の存在
の意味をしります。
一人ひとりの人が他の人とのつながりの中で、本当にその人と
して大切にされて、生きる喜びを感じます。
(08.12.24. 東京大司教)