なぜ長崎なのか?


母は熱心なクリスチャンだったと以前に書いた。
いつ頃からか分からないが、B5版を半分にしたサイズの
小冊子を購読していた。

旧教系の小さな出版社から毎月出ている雑誌で、
四十年以上は取っていたのではないか?

その出版社の所在地は長崎市内にある。

母の人生は決して安定したそれではなく、大きな困難を伴う
ものであった事は、ボーイの小さな頃から知っていた。
心の拠りどころを基督教に求めたのだろう。
ただ普段読んでいる姿を見たことがないから、寝床のなかで
夜見てたのかも知れない。

昨年末に亡くなってからも雑誌は自動的に送られてきた。
六月頃、死亡につき来年よりの購読停止の連絡を入れた。
八月になって溜まった小雑誌を少しづつ読んで行った。

八月半ばのある日、突然長崎行きを決めた。

母が自分を呼んでいるような気がしたのだ。
またそんな機会を逃したら、もう長崎に行くことはない
と思った。


長崎はご存知のように戦国の世から切支丹が盛んな地であり、
多くの殉教者も出してきた。
出版社に行ってみたい、挨拶と翌年以降も継続購読と来年の
カレンダー注文もしよう!

そうおもった。。