ベンダサンのデヴュー作「日本人とユダヤ人」の「訳者」は山本七平
であり、1970年に上梓されベストセラーとなった。
六百円もした。六百五十円かもしれない。
当時単行本はふつう四百円くらいだった。
版元の山本書店は大儲けした訳である。
(七十年はボーイ入学の年)
どれだけこの本が高かったか示して見よう。
当時ー何度も書くがー、溜り場「ルノアール」は百円、学食が味噌汁付丼物
が八十五円、ランチ(コロッケとウィンナ二本、キャベツ)で九十五円、
かけうどん・そばは三十円。寿司もあったが喰ったのは数回に過ぎない。
国鉄の最低乗車賃は三十円。新宿からボーイの駅まで三十円。
一週間(六日)の生活費は、ー酒飲まなければ- 千円で足りたのでる。
夏冬春のバイト代も一日八百ー千円だった。
(次第に上がり、卒業の頃は千三ー五百円となった。
四年の冬にオイルショックがあった。教室は暖房が入らず震えながら
ベンキョーした!)
文庫本はおよそ百ー百二十円だった。
だから六百円が如何に高かったか!
「日本人と。。」が角川文庫に入ったのは、ずーっとあとの八十年代半ば頃
だったかな? いまだったら、二三年で文庫に入るんだが。。
野村良雄教授が言われたように発想法が面白かったが、如何せん、発行から
時間が経ち過ぎて新鮮味が乏しかった。
その頃訳者はとうにジャーナリズムで大活躍だったから余計だ。
(つづく)
であり、1970年に上梓されベストセラーとなった。
六百円もした。六百五十円かもしれない。
当時単行本はふつう四百円くらいだった。
版元の山本書店は大儲けした訳である。
(七十年はボーイ入学の年)
どれだけこの本が高かったか示して見よう。
当時ー何度も書くがー、溜り場「ルノアール」は百円、学食が味噌汁付丼物
が八十五円、ランチ(コロッケとウィンナ二本、キャベツ)で九十五円、
かけうどん・そばは三十円。寿司もあったが喰ったのは数回に過ぎない。
国鉄の最低乗車賃は三十円。新宿からボーイの駅まで三十円。
一週間(六日)の生活費は、ー酒飲まなければ- 千円で足りたのでる。
夏冬春のバイト代も一日八百ー千円だった。
(次第に上がり、卒業の頃は千三ー五百円となった。
四年の冬にオイルショックがあった。教室は暖房が入らず震えながら
ベンキョーした!)
文庫本はおよそ百ー百二十円だった。
だから六百円が如何に高かったか!
「日本人と。。」が角川文庫に入ったのは、ずーっとあとの八十年代半ば頃
だったかな? いまだったら、二三年で文庫に入るんだが。。
野村良雄教授が言われたように発想法が面白かったが、如何せん、発行から
時間が経ち過ぎて新鮮味が乏しかった。
その頃訳者はとうにジャーナリズムで大活躍だったから余計だ。
(つづく)