07年の春に「最終講義」のタイトルで何回か連載しました。
大学四年一月後半の出来事をアマーリエを中心に想い出を書いて
みたのです。若干の脚色はありますが。。
その‘最終講義‘は、芸大X教授の「芸術学」を指します。
1974年1月のことです。
X教授こと野村良雄教授は、ボーイの在籍したし私立大学に毎月曜日
午後より出講され、二駒の講義があったのです。
二年生のときからまる三年間一度も欠席せずに講義を聴きました。
在学中、ボーイが‘もっともおもしろくベンキョーになった‘講義と
おもっています。
70年にベンダサン著「日本人とユダヤ人」(山本書店刊)が出版され、
野村教授は大きな刺激を受けたようです。
以下、教授の「日本人..」からの引用です。
(「世界史のなかの音楽」71年より);
日本人はそういう不幸(故国喪失)に会っていないから、日本教徒などという
自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存在するとも思って
いない。その必要がないからである。
しかし日本教という宗教は厳として存在する。
これは世界で最も強固な宗教である。
というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっている
からである(「日本人..」P.40)
(つづく)
*70年はボーイが大学に入学した年です。
大阪万博がありました。
大学四年一月後半の出来事をアマーリエを中心に想い出を書いて
みたのです。若干の脚色はありますが。。
その‘最終講義‘は、芸大X教授の「芸術学」を指します。
1974年1月のことです。
X教授こと野村良雄教授は、ボーイの在籍したし私立大学に毎月曜日
午後より出講され、二駒の講義があったのです。
二年生のときからまる三年間一度も欠席せずに講義を聴きました。
在学中、ボーイが‘もっともおもしろくベンキョーになった‘講義と
おもっています。
70年にベンダサン著「日本人とユダヤ人」(山本書店刊)が出版され、
野村教授は大きな刺激を受けたようです。
以下、教授の「日本人..」からの引用です。
(「世界史のなかの音楽」71年より);
日本人はそういう不幸(故国喪失)に会っていないから、日本教徒などという
自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存在するとも思って
いない。その必要がないからである。
しかし日本教という宗教は厳として存在する。
これは世界で最も強固な宗教である。
というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっている
からである(「日本人..」P.40)
(つづく)
*70年はボーイが大学に入学した年です。
大阪万博がありました。