まえに、逆説的な冗句を込めて常日頃から「死とお友だちになる」のが
よいかも知れない、と記した。

じぶんや親しく近い人たちがが死に瀕したとき、さほどうろたえずに
死を凝視或いは客観視できるのではないかと思うからだ。

こころの準備が伴わぬうちに、いきなり死に瀕したときと比べれば。。

「死」を想えば、必然的に「生きる」こと、行き続けること、生きる
意味などについて否応なく考えざるを得なくなるからだ。
といっても、べつに難しく考えている訳ではない。

常に死を意識することによって、逆に「生」の充実感が一層増すような
気がしている。


昨晩、大原麗子の訃報に接した時、本人の孤独と淋しさが思いやられた。
あれだけのひとが、お手伝いさんもいなかったんだろうか?。。
あまりにも若かった。お悔やみを申し述べたい。


MEMENTO MORI...ときょうも呟くのである。。