篠田節子「マエストロ」の続きです。
美貌のヴァイオリニスト神野はベートーヴェンのクロイツェルソナタを
思いどおりに弾くことができない。「ある種の気迫、音楽への情熱」が
薄いと作者は書く。Bは精神性が深い音楽だからだろう。
恩師の教授から神野は「純粋培養」で育って来たから、ーボーイ風に
言い換えるとー人生社会勉強の為にもっとモマレなければならないと
言われる。
次の言葉がこの小説のエッセンスだろう。
「音楽に感動する心っていうのは、もっと普遍的なものだ。
(音楽は)もっと総合的なものだ。
深い精神的なつながりを、聞いてくれる人々との間に持たなくてはならない」
ボーイはこれに同意するものである。
ブーニンやキーシンが大ブームになったことがある。
80年代の初めから中頃だったとおもう。
レコード会社やそれに乗ったメディアの宣伝に惑わされた「音楽愛好家」
たち! 十台の終わりか二十台のはじめのピアニストたち。
あんな演奏のどこがいいのかさっぱりわからなかった。
人間がまだできてないのに、ひとを本当に感動させることができるのか?!
技術的な事ではない。
人との交わり、読書教養知性ーそういった諸々の裏付けがないのに精神的な
演奏は不可能であろう。
精神がなければ感動もない。
ポリーニはたしかコンクールで優勝した後、いったん一線から身を引いて
勉強し直したはずである。
身に降りかかった災難?で落ちた偶像となった神野は、それを乗り越えるべく
クロイツェルソナタに敢然と挑戦して行くのである。