いづみこさんのことは、いちど書いた。
毎月「図書」に、ミステリーを中心として一冊のほんを紹介されるコーナー
をもたれている。そのコラム「六本指のゴルトベルグ」をこの雑誌が届くと
イの一番で読むと。。
7月号はビルエヴァンスを題材にした小説を取り上げられている。その元ファン
であるボーイとしても大変興味深く読んだ。(Webでも読めるが雑誌でないと
読んだ気がしない) イントロの途中で、こんな文章がある。
。。他人のキャリアを絶っておいて自分だけ舞台をつづけているとは何と残酷
なことよと思うが、一度板(ステージのこと)に乗った者は死ぬまでその味を
忘れられないというから、業みたいなものか。
森昌子も離婚を期にカムバックしたし、引退を宣言して本当にきっぱりと
やめてしまったのは山口百恵とちあきなおみと原節子ぐらいではないだろうか。
かくいう私だって、何度も”ピアノやめる”宣言をしたのに、なぜかまだ
弾きつづけているし。
今回はその事ではなく。。 この春、いづみこさんが読売夕刊に矢代秋雄の
没後三十年の演奏会についての一文が掲載された。
この演奏評を彼女のWebで公開されるのをずっと心待ちにしていたが、
一向に出てこないので、読んだときコピーとっておけばよかったのにと
悔やまれた。
やむなく直接ご本人に連絡を取り、公開されないのですかと伺った処、
暫くしてお返事があり手紙の引用があるので公開は難しい旨と、読売に
寄稿された原文を添付してくださった。
文中のチェロ協奏曲は、中三のときに一度だけ聴いたことがある。
一聴、忘れがたい作品で、いずみこさんは例の巧みな表現でボーイの
当時の気持ちを一部代弁してくださった。感謝!
初演と同じ堤剛による『チェロ協奏曲』を聴きながら私は、笛の音を
バックに孤独に舞う能役者の姿を思い描いていた。極度に洗練され、様式化
された怨念のようなものが、不気味な音程で昇り降りしながら、決してカーヴ
を描くことのない音の連なりに託される。
。。
堅牢な構造、絢爛たる技巧主義を誇りながら、実験的手法を重ねるあまり
二〇世紀音楽の多くがそうなってしまったように、外界や人間存在と
切り離されたものでは決してない。
先入観をはずし、寺山修司の直感をもって聴くとき、矢代の音楽は、
「生まれてしまってよかったのだろうか?」と自らに問うことを半ば義務
づけられた二一世紀の聴き手に深い共感を呼ぶことだろう。