先日(7・2)、Qさんの 「お金としあわせの関係」 (中公文庫 98年、親本 95年)
について拙文を書いた。
その中で、「人のしあわせ、ふしあわせは一生を終えてみなければわからない。
『終わりよければすべてよし』と言うけれども。。」
とQさんの言を引いた。

たまたま図書館で小田島雄志の訳本が目に付いたので借りてきた。
(シェイクスピア全集 白水社)
ほぼ二十年ぶりに読み返してみたが(最初は学生のとき)、やっぱりよくわからないなあ、
というのが正直な感想だ。 それは長くなるのでいまここで取り上げない。
筋はこちら

さりながら今回気づいたのは、作者シェイクスピアがヒロインのヘレナに対し大変
シンパセティックである事、即ち、ヘレナが手練手管を尽くしてバートラムと添い遂げるのを
暖かい慈愛の眼差しで見つめその行為を肯定的に描いている事である。

いくつか印象的な文を引いておきたい。

(ヘレナが王に対しじぶんの治療をすすめているとき)

王 お前の命は およそ命の名に値する
  大切なものすべてをもって生き生きと息づいておる
  若さ 美しさ 知恵 勇気など 人生の花盛りにある
  しあわせなものがしあわせと呼ぶすべてを備えておる
  。。。
ヘレナ 万一お約束した時をたがえたり 申しあげたように
    ことが運ばなければ ご容赦なく死を賜りますように
    おなおしできなければ 死を報酬としていただきます

                      
(第二幕第一場)

(王がバートラムにヘレナを娶るよう詰め寄るときの台詞。
 ヘレンは貧乏医者の娘で地位はない、バートラムはそれを嫌っている)

王 どんなに卑しい地位も そこに美徳 善行が生まれ
  なされるならば その地位は その行為によって高められ
  どんなにふんぞり返った栄爵も そこに美徳がなければ
  それは水ぶくれの名誉にすぎぬ 善は善でさえあれば
  肩書きはなくとも善なのだ 
  その娘は 若く 賢く 美しい
  その美点は彼女が自然から直接受け継いだにちがいない
  それが名誉を育てるのだ 名誉の家柄に生まれても
  名誉ある父祖のごとくしなければ 不遜にも
  名誉を汚すことになる 名誉が輝くのは だから
  祖先から借り受けるのではなく 自分の行為から
  つかみとるときだ 名誉ということばは それだけでは
  奴隷にすぎぬ。(中略) さあ どう答える?
  お前がその娘を一人の処女として愛しうる
  と言う事であれば あとはわしが補ってやろう
  その身と美徳が彼女の持参金 名誉と富はわしが贈ろう

                      (第二幕第三場)

疲れた。寝るとしますか。。