「中国の歴史と故事」 藤堂明保著 89年 徳間文庫 のつづきです。

(越族の南下は)アジアで起こった民族の大移動だった。
越系部族の大部分は漢民族と同化して南方山中に住みつくが、どうしても
同化しない民族はいまヤオ族・シャ族などといい、山間盆地にみごとな
水田を開いている。

いっぽう(越を滅した)楚の末裔は南中国各地の山間に入り苗族となるが、
そのうちの大集団約八百万人が広西壮族自治区に住んでいる。楚系の人たち
の一部は、中越国境の莫族・白族となり、またラオスに入りさらにタイに
まで移って行った。今日、楚→壮族→ラオス→タイなどの言語を広義の
タイ語系といっている。また越の言葉と今日のベトナム語とは同系である
公算が大きいが、今のところ明白ではない。

遠く雲南の谷間におこった米作は、東へ東へと移って、ついに水田にまか
れるようになった。高温多湿の水田は、害虫や熱病が多いが、楚や越の
人びとはそれを克服したのである。
(楚は米作民で洛陽の南、湖北湖南から淮河中流まで分布していた)

ベトナム語には、広東語とよく似た発音が多々みうけられることを申し添えて
おきます。