きのうの 「中国の歴史と故事」 藤堂明保著 89年 徳間文庫 のつづきです。
もうすこし詳しくみてみたい。

長江下流の越。六千年前の水田が越の都紹興の東で発見された。BC5世紀頃、
周の一族が南下し、蘇州無錫付近に漢民族の呉という植民国ができた。
原住米作民は「南蛮」を守れで越という国をつくった。とても呉に敵わず、
紹興の会稽山に逃げ込み、十年間立てこもり「臥薪嘗胆」し蘇州の呉を滅す。
越はその後百五十年存在するも漢民族から圧迫され続け、西の楚と争いを起し
BC336頃滅亡した。

司馬遷はこの間の事情を『史記』の「越王勾践世家」に記す。(原文略)
秦の始皇帝は会稽山まで遠征、その後漢の武帝も襲いかかり、閩越国を滅す。
越族は追われて広州に南下し、南越王国を立てる。さらに漢の武帝は水陸
から火をつけて南越国をも滅す。

司馬遷によると、南越の人々は海岸線を南へ南へと下ったとある。これが
今日のベトナム(越南)である。南越を逆さまにして越南とす。
(とうじの現地的発音でvietnamという)
これはアジアで起こった民族の大移動であった。


(つづきは明日書きます)