長江の南を江南と称す。太古よりそこに越族が住んでいた。「史記」の「越世家」に記載あり、
断髪分身していた。昔の倭人と共通している(魏志倭人伝)。北方漢人は越人と混血して呉の国を
たてた。呉と越は戦い、呉は敗走す(BC495)。臥薪嘗胆。越王は呉王を攻め殺した(BC473)。

呉と越が三十年にわたる死闘を繰り返したのは、漢人民族と現地住民との間に、血を血で洗う

対立があった。
越はこの時を最後にして歴史の舞台から姿を消し、その百五十年後には、山越、ビン越、
東越など小部族に分裂す。
いちばん南にいた南越だけが比較的強く、今日の広州からハノイあたりまでを領して、
独立国をたてていたが、BC二世紀に漢の武帝の遠征軍に滅ぼされた。


今日の中越国境にいた駱越が余命を保ち、トンキンデルタの低湿の地に稲を植えて、
ベトナム人の主たる祖先となった。「南越」を逆まにして「越南」と呼んだのである。
(「越南」を南方ふうに発音してvietnamという)


「中国の歴史と故事」 藤堂明保著 89年 徳間文庫 より(親本は85年 旺文社文庫)


ベトナム株にはまっているあなた、おわかりでしょうか? 
すこし歴史もみたら如何か?