ちょうどひと月まえ(5・19)に、下の本を紹介した。

張明澄著(台湾人)
1.「誤訳・愚訳 -漢文の読めない漢学者たち!-」1967 久保書店
2.「間違いだらけの漢文 -中国を正しく理解するために-」1994 久保書店(親本は72年)

内容を簡単にまとめるとこんなことだろうか。

*日本の漢学者たちは、わからないことをそのままにしていい加減な訳をこしらえる、
辞書を引かない。例、多数。

*原稿料稼ぎの粗製濫造本が多い。とくに、(当時の)岩波文庫新書が甚だしい。
具体例、多数。
その例のひとつとして、「あの」中国文学の最高権威 吉川幸次郎 1.2. として
5・24-25であっぷした。↓の詩。

  閨怨  王昌齡
  閨中少婦不知愁 
  春日凝粧上翠樓   
  忽見陌頭揚柳色    
  悔教夫壻覓封侯 

吉川の訳が、いかにいい加減なものかが暴露されている。 

*漢文は中国語であり、日本式の返り点式の読み方ではなく、中国語の発音で読まなければ
正確な意味と音価(韻など)を把握できないし、鑑賞もできない。ナンセンスである。

日本の漢文教育や漢文学習は、漢文をただ日本文化のひとつとして、むかし中国から伝わった事実を
無視している。そのために、漢文の基礎になったのは、みな日本語であり、中国語ではなかった。
愚訳誤訳の是正が目的ではなく、日本の漢文教育を再検討してもらいたいのである。
さもなければ、むかしからの愚訳誤訳は、相変わらず刊行物のなかで溢れるほど出現し、正しい
解釈とは、永遠に平行線をたどりつづけることになろう。

(2.のまえがきより)

帯:漢文はあくまでも日本語ではない。中国の風俗・習慣を無視しては理解できないはずである。
基礎を理解しないで漢文を日本文に直したところに、誤訳や愚訳が起きてくる。
日本語に精通した著者がその誤りを指摘する。