1923(大正12)年に日本統治下の台湾に生まれた李氏は旧制台北高校を経て京都帝国大に学び、
学徒動員先の名古屋で終戦を迎えた経験をもつ。「昭和21(1946)年まで新橋の焼け野原の一軒家
にしばらくいたが(記者会見が行われた)今の有楽町の発展ぶりは天地の差がある」と李氏は話し、
東京の変貌ぶりに目を見張った。
第二次世界大戦で戦死した実兄の李登欽氏が「岩里武則」の日本名で祭られている靖国神社に参拝したことについては
「一人の人間として兄に対する冥福(めいふく)をささげることができ、一生忘れられない。心から感謝している」と改めて語った。
李氏の靖国参拝を中国が批判したことについて、「中国や韓国などが自国内の問題を処理できないため(民衆の批判の矛先をらそらそうと)靖国問題を作り上げた」と反論。
さらに「日本の政府はあまりに弱かった。国のために亡くなった人を祭るのは当たり前のこと。外国の政府に批判されることではない」と話し、日本政府の弱腰や中韓の内政干渉問題を指摘した。
また李氏は、安倍晋三政権の外交姿勢について触れ、「(昨年の)就任早々に安倍首相が訪中したことは囲碁に例えれば布石であり上等だった。 国と国の関係をつくるのに正しいやりかただ」と評価した。
しかし「中国人の言うことは(批判などを軽々に)信じない方がいい」とも話し、
中国人が用いる交渉術としての批判を、常に真に受ける日本人の単純さを指摘した。
(フジサンケイ ビジネスアイ)