香港に最初に出掛けたのは78年頃、台湾へはずっと遅れて89年。
ご存知のとうり、台湾は香港より距離的に近い。
さりながら、旅行者にとって、香港のほうが心理的に近いような気がしていた。

何故か?
まず日本からの発着便数が圧倒的に違っていた。
香港へは、日系はもとよりアジア米国系など仰山あったが、台湾便は当時とっても
少なかった。それ故か、料金も距離の近い台湾が香港より、約三割ほど高かった。
もうひとつのネックは、台湾にはヴィザが必要だった。
頻繁に行くとこのVisa fee(代理店の手数料もかかる)が、個人旅行者にはタイヘン
だったこともある。

日本の各社(主に製造業)が台湾に進出し始めたのは、70年代頃からだったかと思う。
当時、日本の男社会で 台湾は男性天国 などと週刊誌で書き立てられていた。
関根さんの週間ポストなんかも、そのはしりだったんでなかったかな?
ボーイまだ二十台で、出張した先輩のハナシを聞くとみんなデレーッとなっちゃった。
ずっと後年、ボーイが踏み込んだ頃はもうとっくにイイ時代は過ぎ去っていた。 
その辺のニッポン男子の台湾小姐との下半身事情を小説化したのが上掲の本であり、
81年に中央公論から出版された。帯(↓)をどうぞ。

本書は、著者が二十四年にわたる亡命生活を終えて、月に一ぺんくらいの割りで、生まれ故郷
の台湾との間を行き来するようになってから、新しく見聞きするようになった国際風俗を
テーマにとりあげたもの。
アジアへの日本企業進出が始まった頃、台湾にも多くの日本人が渡った。そんな男たちと
現地で出会った女たちの哀感に満ちた人生模様を10編の作品に収める。

(つづく)