台湾には、89年暮に行ってから年四五回は訪れただろうか。
三日休みがあると飛んでいったから、入れ込みようは相当だったんだろう。
ひとつは、おない年の社長はんがいた所為もあったのかも知れない。
三回目かに百万持参してそこの株主になった。尤も、divident は一度も頂いて
いないんだが。。
ディナー一回と空港への送迎
で十分だった(毎回じゃなく)。
台北の郊外や地方に行くと、既に日本の都市部で失ったようなきめ細かい人情
というか、独特のやさしい雰囲気というものが残っていて、ボーイの子供時代の事が
想い出され、とても懐しさを覚える。
生き馬の目を抜くような香港とちがい、買い物や店でも店員は「しぇしぇ」と言って
くれる
(あたりまえなんだが。。) 香港じゃ言われた事は滅多にないし、お釣り
なんかもほっぽってよこす。何よりも仏頂面の無愛想が我慢ならねぇー
!
それに引き換え。。
その間の台北駅前の変貌は激しかった。
前に書いたとおり、旧駅
の取り壊しと新駅の建設、高層の新光三越ビル
の建設。。
ちょうど日本の60年代後半から70年代の高度成長期に当っていたんだろう、
とおもう。96年に家族で行ったのが最後で、そのときはモノレール(?)もできてたし、
いまでは地下鉄も開通してるという。
市内の移動はバス
しかなかったから、便利になった。
夢のようだ。
またいつか行って、駅近の鰻の寝床のような喰物屋で炒飯や魯肉飯、牛肉麺、
茹卵の醤油煮込、屋台の焼鳥(夜)なんぞをつまみながら台湾啤酒をやりたいものだ
。